おおよその気象予測に反して、夜来の雨もすっかり上がって、抜けるような空の青さが広がる下で元日の朝を迎えた。喧騒な車の往来も絶えて、都心にある私の住まいにも、正月ならではの静けさが蘇ってきた。それは経済不況や先行きの不透明などと言う暗くのしかかっていた歳末の風潮を一気に吹き払って、新しい日本の蘇りを暗示しているかの如き新年の到来であった。しかし一部の新聞は、混迷の時代と社説に掲げて相変わらず陰鬱な思いを漂わせていた。確かに楽観や軽薄な言動は慎むべきではある。さりとて、ただ悲観や警鐘だけを鳴らしていれよ良いと言うものでもあるまい。
二一世紀の幕開けは変革の時代であると人はいう。そのとおりである。しかし考えて見ると、私などが社会人として仲間入りして過ごしてきたこの半世紀、只の一度も変革の時代、変貌の時代と言う言葉がマスコミに登場しなかったことは無かったし、明治この方日本の新聞が政治の貧困を書き立てなかったことも無かった。しかし時代は進歩し些かの山坂はあったとしても我々の先輩達は今日の日本を築いてきた。世界史の上でもたぐい稀なと言われる平和で安定した時代であった。徳刀時代に生きた、陽明学者山鹿素行ですら、「凡そ天下のことは、一〇年にして一変するものである」という意味の言葉をのこしている。諺にも「十年一昔」と言えば「十年一日の如し」とも言う。
何時の時代にも、時の流れは、変化するものと、変化しないものの二つの作用によって展開してゆく。俳聖芭蕉はこれを、「不易流行」と言う言葉で言い残している。
忘れてはならないことは、時の流れ世相の変化は、必ずしも常に正しい方向に向かっているとは限らなかったと言うことも、また過去の歴史が教えているところである。
「分別のつけおさめけり歳の暮れ」「満天の星仰ぎけり年の暮れ」等という句が歳時記に残っているが、一年の反省総決算を済ませ、新しい決意で新年を迎えることは、永い歴史が教えている父祖以来の伝統である。
仕事の都合や、海外勤務で、子供達の帰れなくなったわが家も、老妻と二人きりで、昔ながらのささやかなしきたりの中で新しい歳を祝った。数年前、仕事の都合で台北で新年を迎えた経験があった。その折、此処には新年はあっても、正月が無い。そんなことを、ホテルの窓から街を眺めながら考えていた時のことを思い出す。去年の新年賀詞の会でお目に懸かったおりに近衛さんに、「さぞかし、お宅のような名家のお正月には古式豊かな行事が有るのでしょうね」とお聞きすると、「母が元気で有った時代まででした」と笑っておられた。今日の社会は、伝統や文化の継承が如何に困難になっているかを、深く感じさせられる事も事実であり、一部の若者の間では、正月も単なる休暇や海外旅行の季節になっているとしても、一斉の帰郷ラッシュや、初詣の中に厳然として正月の風習は残っている。ともあれ日本の正月は、この国の風土と歴史の染みついたもので有ることをしみじみと思う。