忙しい師走の様相が一変して蘇って来るこの静けさは一年の計を思い、自己内観をするための大切な時である。
二一世紀が到来し世界は新しい段階に入ったと言う。しかし新しい時代とは何か、これから何が始まろうとしているのか、世界は何処に向かおうとしているのだろうか、この点についても、明確な回答が与えられているとは言い難い。我々日本は何を目指していったら良いのか、指導者と称する人達の意見も、マスコミの論調も、区々様々である。
臨調、行革審以来の長い懸案であった、新省庁体制が愈々実行段階に到達した。しかし新体制、新組織が完成したことは、その事が行政改革を完成させたことではない。省庁の再編はむしろ行革のためのスタートラインである。
行政の改革が如何に難しいもので有るかは、過去の歴史を振り返ってみれば、歴然たるものがある。成功した歴史よりは、むしろ失敗した歴史の方がはるかに多い事が如実にそれを、物語っている。
本所の吉祥院に、白河公、松平定信の身命を賭けて寛政の改革に望んだ血書による願文が残されていた。彼が高い理想と識見と決意をもって登場したにも関わらす、改革は失敗し僅か三六歳あしかけ七年余にして、その職を去らざるを得なかった。この寛政の改革の理念を受け継いで行政改革を試みたのが、水野忠邦の天保の改革である。しかしこれも、妖怪と称せられた鳥居耀蔵等の跳梁を許し弾圧的風潮の中で、不況に喘ぐ江戸市民の怨嵯するところとなり失敗に終わっていることを思うと、改革の成否は単に理念の良否のみでは決められない人間関係の複雑さがかもし出す難しさを教えている。
何時もは街の灯で明るい都心の空も元日の夜は、ビルの灯も消え果てて、何処までも暗く深い、新月の静寂の中で仰いだ空には無数の星が輝いているのを見て言い知れぬ感動を覚えた。父祖達が仰いだ空に輝いていた星もこの星である。この空の下で繰り返された多くの変革や、治乱興亡の歴史の流れを、変わることも無く、語ることも無く、ただ星はまたたいていたことを思い出させてくれた。
改革とは何を残し何を変えねばならないか、この選択こそ今日に生きる者の最大の責任でもある。その原点に有るものは、この国の風土でありそれを守り培い築いて来た庶民の心であろう。如何なる批判があろうと、若い公務員の皆様に託する思いは切である。