また、人事院(Public Service Board)を廃止し、その機能の多くを各省に移譲するとともに、公務員の能力開発を担当する「人事委員会(Public Service Commission: PSC)」と、各省のマネジメントを強化するための「マネジメント諮問委員会(Management Advisory Board: MAB)を設置した6)。
ただし、ホーク政権は労働党政権であり、ホーク首相自身がかつて労働組合の指導者であったことから、行政改革も労使協調という限界を超えるものではなかった。それゆえ1980年代のオーストラリアの行政改革は、当時のイギリスやニュージーランドと比べると、かなり穏健なレベルにとどまっていた7)。そのホーク政権の内部にあって新古典派経済理論に基づく競争政策を強く主張したのが、キーティング蔵相である。キーティングは1992年にホークの後任として首相に就任するや、「独立調査委員会(Independent Committee of Inquiry: ICI)」を設置し、政府部門に市場競争を導入する際の基本方針の作成を命じた。F・G・ヒルマー(Frederick G. Hilmer)を委員長とするICIは1993年8月に「国家競争政策(National Competition Policy: NCP)―通称『ヒルマー報告』」を発表し、オーストラリアでは政府が所有する企業(Government Business Enterprises: GBE)の割合が米国に比べて多く、オーストラリアのGDPの10%をGBEが占めていること、それゆえGBEの生産性を改善する必要性があることを強調した。同報告に基づいてキーティング政権は、GBEを競争状態に置くために必要な規制緩和を行い、独占状態にあるGBEを小さな事業体へと分割する構造改革を推進した8)。
それに対して、1996年に政権についた現在のハワード自由党・国民党連立内閣は、より保守主義的なイデオロギーに立脚して、新公務員法の制定や国営企業の民営化、そしてアウトソーシングの推進など、まさにNPMの理念をストレートに反映させた行政改革を推進している。ハワード連立政権の公共部門改革は、1996年11月のデイスカッションペーパー「最善のオーストラリア公務員制度をめざして」に基づいて進められているが、キャンベラ大学のジョン・ハリガンは、そこには1]公共部門への民間部門の経営原則の適用、2]競争と選択の原則、3]アウトカムの重視、4]パフォーマンス・マネジメント、の4つの原則があると指摘する9)。
まず、1]の「公共部門への民間部門の経営原則の適用」であるが、これは公共組織の方が民間企業より価値があると認められる場合以外、公共組織を民間化するという方針である。政府は行政組織が民間と同じ手法を通じて管理改善を進めるだけでなく、ベンチマーク事業を通じて公共組織自体がベンチマークになるよう求めている。ベンチマーク事業のガイドラインは、マネジメント諮問委員会(MAB)のなかに設置された「マネジメント改善諮問委員会Management Improvement Advisory Committee: MIAC」が1996年6月に提出した報告「スタンダードの改善:より良い政府のためのベンチマーキング」に示されており、政府は各機関が同ガイドラインに沿ってベンチマーク事業を進めるように求めている10)。