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第3章 オーストラリアにおけるNPMの展開と行政システム改革

―センターリンクを事例に―

 

1. オーストラリアにおけるNPMの展開1)

現在、オーストラリア政府は「ニュー・パブリック・マネジメント(NPM)」と一般に呼ばれる改革手法を積極的に導入して、政府公共部門の改革を進めている。NPMは1980年代以降、イギリスやニュージーランドなどアングロサクソン諸国で開発された行政改革の手法であるが、その内容や力点は国によって、あるいは論者によって相当に多様である。一般的にNPMは、政府部門の効率性を高めるため、新古典派経済学の理論に基づき、政府組織に競争原理を導入することをいう2)。アウトソーシングによる政策機能と実施機能の分離や国営企業の民営化などはその典型な手法である。また、公務員の生産性や効率性を高めるため、業績評価や業績給などの民間経営手法を政府に適用する「マネジャリズム」もNPMの手法と考えられている3)

オーストラリアのNPM改革は、サッチャー首相によるイギリスの行政改革よりやや遅れて1980年代半ばに、当時のホーク労働党政権によって着手された。その前のフレイザー保守政権時代にサッチャーの新自由主義イデオロギーはオーストラリアでもポピュラーとなっていたが、1983年の総選挙でフレイザー保守政権が敗れたために、ホーク労働党政権のもとで新自由主義的改革が進められることになった4)

ホーク首相は就任後まもなく、上級幹部公務員(SES)を創設するとともに、「財務管理改善事業(Financial Management Improvement Program: FMIP)を導入した。前者の公務員制度改革は、伝統的に自律性の強い公務員集団の中に、内閣が政治的に任用できる幹部公務員集団を構築するもので、行政に対する政治のリーダーシップを強化するものである。後者のFMIPは、公務員がインプットよりもアウトプットを重視するようにコーポレイト・マネジメントやコーポレイト・プランニング、事業評価などを行政運営に取り入れるもので、イギリスのFMIをモデルとしたものである5)

また、ホーク政権は1987年に省の大幅な再編を行い、省の数を28から17に減らすとともに、大臣を上級相と下級相の二層制に組み換えた。

 

 

 

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