労働党の批判を呼び起こしたもう一つのNSAsは、児童扶養料を評価し、収集し、必要なときには強制するシステムを運営する児童扶養庁(1993年設立)であった。児童扶養庁は扶養料決定が遅れ、問い合わせへの対応が敏速に行われず、扶養料の評価にあまりにも多くの間違いがあるといった点で広く非難されていた。ある時期に、多くの労働党の大臣が児童扶養庁の廃止を考えていると報じられたこともあった。
しかし、ネクスト・ステップス・イニシアティヴヘのこのような疑問にもかかわらず、労働党はメージャー政権の時期までに、あまり論争のない機能を果たしている機関が準独立のエージェンシーとして存在すべきでない理由を見出すことができなかった。ネクスト・ステップスに関する労働党の立場はエージェンシーに対して、「プラグマティックな態度」をとることであり、エージェンシーが廃止される必要のあるケースもあるが、新エージェンシーが設立されるケースもあるという立場をとった。とくに下院大蔵・公務員制特別委員会(Treasury and Civil Service Committee)の労働党議員の中には、エージェンシーの強い支持者も現れることになった。この特別委員会自体はネクスト・ステップスの非党派的性格を発展させようと精力的に問題に取り組み、エージェンシーの枠組協定の目的を変えることは常に可能であるという見解を強調することになった29)。
(2) ブレア政権の新方向
NSAsは中央省庁の改革への保守党のイニシアティヴの一つの重要な構成要素であったが、ブレア政権によって国家公務員制度の一部として受け入れられた。
前述のようにネクスト・ステップスの発足当初、労働党はかなりこのプログラムに懐疑的であり、論者の中には労働党政権が成立すれば、エージェンシーは廃止されるのではないかと推測する者もいたが、新政権は時計の針を元に戻すようなことはしなかった。しかし、労働党は、1998年初めエージェンシーを創設するという目標をおおよそ完成し、今や最も有効な仕方でエージェンシーを活用することに力点を移す必要があると宣言した30)。労働党はエージェンシーの達成目標(ターゲット)は十分厳しい水準のものである必要があるし、この達成目標との対比で、その成果が十分明瞭に報告されるシステムが必要であると考えていた。それとともに、新政権はまた、民間部門など外部の組織の最も優れた事例ならびに他のエージェンシーや省庁の最も優れた事例との比較という手続を推進する必要があると考えた。このことの一つの結果は、1996年にメージャー政権によって設定された前述のベンチマーキング・プロジェクトの新局面の開始であった。