そのさい業務が政治的影響を受け易いか、管理とサービスの質を改善する見込みがあるかなどが考慮される。もしエージェンシーの設立が好ましいと考えられた場合、エージェンシーがその枠内で運営される政策・資源の枠組みの設計に進み、その長の任命にまで進む。
したがって、エージェンシーは、民営化が否定された後の選択であり、エージェンシーは依然として省の内部組織である。エージェンシーの長は大臣に責任を負い、ついで大臣は議会に責任を負う。またその職員は公務員の身分を保つことになる(これはエージェンシー化をスムーズに推進するための一つの政治的妥協であったとも言えよう)。
1988年のイブス報告の中心点は、エージェンシーは、管理者のエネルギーと自由を発揮できるような仕方で設立されるべきであるということであった。したがって、この報告書の中では、各エージェンシーは、何らかの政策・資源の枠組みを持っており、チーフ・エグゼクティブ(Chief Executive以下CEsと略す)と呼ばれる長のもとで、運営されることが提案されていた15)。
このようなネクスト・ステップス・イニシアティヴは、NPMの構成要素とされた「管理の自由」と業績ベースの文化を強調した管理スタイルの表明であった。CEsは任期付の契約に基づき、給与の面では業績給が重視されているが、日常運営の面で大臣や省の監督から、一定の自由を与えられている。枠組み協定書(Framework Document)は、エージェンシーの目的を規定し、さらに議会への責任および財務責任、主務省との関係を規定している16)。次のメージャー政権のもとでは、中央省庁はさらにNPMのもうひとつの要素(市場タイプのメカニズムの活用による競争の促進)にさらされることになった。
4. エージェンシー化の進展とメージャー政権下の取り組み
中央省庁を改革する決定は、サッチャー政権によって行われたが、ネクスト・ステップス・プログラムが1988年にスタートしたとき、その進展状況はきわめて緩慢であった。1988年8月に発足した車両検査庁が最初のエージェンシーであったが、その後、1990年3月までわずか12のエージェンシーが設立され、1万人程度のスタッフが雇用されたにすぎなかった。しかし、1990年サッチャー政権を継いだメージャー保守党政権のもとで、より本格的な進展が見られた。