3] 保守党時代の行政改革の第三期は最もラディカルであった。1987年選挙で三選されたサッチャー政権は、自らの改革に対する自信を深めたので、一連の基本的改革に乗り出した。市場タイプのメカニズムが保健、コミュニティケアおよび教育などの分野に大規模に導入された。購入者と供給者の分離が、地方で供給される大部分のサービスの基礎的モデルとして中央政府によって課された。また業績測定システムが一層推進された。例えば、学校や病院に関する全国対比一覧表(national league tables)がメディアを通じて、毎年公表されることになった7)。
このような状況の中で、中央政府においては1988年のネクスト・ステップス報告書(Improving Management in Government: The Next Steps;通称イブス報告)に基づき、NSAsが設立されることになったのである。
2. ネクスト・ステップス・エージェンシーの発足に至る経緯とねらい
ところで、NSAsの設立に導いたアイデア8)は、FMI導入のところでも指摘した「責任単位」('accountable unit')というアイデアにさかのぼることができる。このアイデアは、もともと民間企業に発しており、1920年代の後半、ジェネラル・モーターズ社によって、できる限り中級および下級管理者に権限を委譲するための概念として開発された。その後、1968年に公表された公務員制度改革に関するフルトン報告のマネジメント・コンサルタント・グループの勧告の中で提案されることになったものである。
しかし、より直接的な継承関係について言えば、ネクスト・ステッブスはFMIの直接の継承者であるといえよう。
1980年代の後半までに、イギリスの中央省庁の周辺では、FMIの前進は改革に必要なほど急速で、実質的ではなかったという懸念が生じていた。例えば、1986年、イギリス会計検査院はFMIの発展と影響力について比較的肯定的な評価を行っていたが、しかし、財務管理改善のためには一層多くのことがなされるべきであると指摘していた9)。この報告書に続いて、1986年秋に、サッチャー首相は能率室の長官R.イブス(レイナーの後継者、化学会社ICIの出身)の要請を受けて次のような諮問を行った。
・1979年以来の中央省庁における管理改善の前進を評価すること。
・態度や実際を改革するさいに成果を上げた方策を見出すこと。