1] 1979年から1982年ないし83年までは、節約と浪費の縮小が厳しく推進された時期であり、公務員数は最初14パーセントまで削減され、その後さらに6パーセントの削減が追加された。
1979年、サッチャー首相は、就任後間もなく、D.レイナー(大手スーパーの経営幹部)をアドバイザーとして迎え、能率精査(Efficiency Scrutiny)運動を展開した。1990年代の初めまでに、このプログラムの成果として15億ポンドの節約を達成したといわれるが、そのねらいは業務達成のための一層の能率的方法の追求であり、その成果として通常、職員数の削減が可能であると結論づけられていた。
2] 1980年代初め、力点は財務を含む経営管理を改善し、能率を増進することに移った。1982年に財務管理イニシアティヴ(Financial Management Initiative;以下FMIと略す)が発足した。このイニシアティヴは、政府省庁の責任管理(accountable management)の必要を強調し、個々の公務員をして、その統制下にあるコストに責任を持たせることによってコスト意識を高め、行政における管理を改善することをねらっていた。
また、このアプローチの核心には、会計学から導き出されたVFMという概念に基づく、多くの数量的技法とアイデアがあった。FMIの文脈において、VFMは(a)節約(economy)―最低のコストで正当な質の投入(input)を獲得すること、(b)能率(efficiency)―投入(inputs)の所与のレベルから最大の産出(output)を生み出すこと、(c)有効性(effectiveness)―活動の目的を達成することを含んでいた。
FMIの実施とともに、VFMアイデアはイギリス公共部門の他の分野にも拡大した。1983年、会計検査院(National Audit Office: NAO)にVFM検査の新しい権限を賦与する国家会計検査法(National Audit Act)が成立した。また政府は国営医療制度(National Health Service: NHS)において、すべての保健当局に一般管理者を導入しようとした。さらに、業績指標(performance indicator)システムが大部分の公共サービスに拡大しはじめた5)。
他方、1980代半ばを中心に、民営化プログラムが一層推進された。例えば、British Telecom(1984)、British Gas(1986)、British Airport Authority(1987)などは民営化の代表的な事例である。しかし、民営化の規模は政権発足当初から明確に構想されていたわけではなかった。むしろその後の好ましい反響をうけて、次第に拡大されていった。こうして、1979年と1990年の間にほぼ800,000人の職員が公共部門から民間部門へ移された6)。