こうした課題をめぐる十分な議論が、行政改革会議以降99年までの、実際に独立行政法人化する機関の選定、とりわけ特定独立行政法人とそれ以外の独立行政法人との区別を決める過程において、どれほど検討され、反映されたのかは、極めて心許ないと言わざるをえない。特定独立行政法人化されるもののなかでも、試験研究機関と医療厚生機関および国立大学など教育機関とでは、通則法第2条第2項の文言「その業務の停滞が国民生活又は社会経済の安定に直接かつ著しい支障を及ぼすと認められるもの」のもつ意味が明らかに異なってくるであろう。また、これに続く「当該独立行政法人の目的、業務の性質等を総合的に勘案して、その役員および職員に国家公務員としての身分を与えることが必要と認められるもの」という極めて抽象化された規定が何を意味するのかを明らかにするためには、個々の独立行政法人ごとに、その担当する業務についてのきめ細かな分類整理の議論が必要とされる。
行革会議最終報告書では、個別の業務が公務員型組織か非公務員型組織のいずれに該当するかは「その時々の社会経済情勢や国民の意識により決まることになる」と記されている。
しかしながら、こうした曖昧かつ流動的な基準のみで、「公務」の特質を判断することは困難であるばかりか、危険性をともなうこととなりかねない。
戦後の一時期に議論された職階制の導入が放棄されて久しい日本の公務員制度にあっては、「公務」の区分と「公務員」の区分の対応が不明確であることは、しばしば指摘されるところである。独立行政法人制度の導入を契機に、前述の任用や給与の問題と密接に関わる課題として、明確な公務の分類のための作業を、やや時間をかけてでも検討する必要があるのでなないだろうか。
(2) 組織改革と公務員制度改革の連携
第二の課題は、戦後日本の行政改革全体の流れを俯瞰したとき、行政組織の改革と公務員制度の改革が、必ずしも明確な関連性を有してこなかったのではないか、という点である。無論、第一臨調、第二臨調から三次にわたる行革審の答申、および今回の行革会議の報告書のいずれにおいても、公務員制度改革が主要改革課題として位置づけられ、広範な改革提言が出されてきていることは確かである。けれども、こうした改革案の内容や手続きが如何ようなものであれ、戦後改革期はともかく、少なくとも1960年代以後において公務員「制度」の具体的改革は、総理府人事局の設置(1965年)、総定員法の制定(1969年)、総務庁設置(1984年)、および国家公務員倫理法の制定(1999年)に留まり、これ以外の諸改革は主として現行制度を前提とした「運用」の改善によって対応されてきたと言えるのではなかろうか。