すなわち、これも、前章で詳しく述べているように、新たな行政制度としての独立行政法人制度が行政改革会議で検討の対象に上ったのは、97年2月にイギリスのエージェンシー制度をはじめとする諸外国の行政改革事情を検討しはじめてからである。ただ、96年10月の総選挙において、各党が、中央省庁のスリム化を公約として掲げたこともあって、独立行政法人制度の制度設計は、国家公務員数の削減のためという狙いが、当初から強かったことに留意しなければならない。そして、独立行政法人の具体的な制度設計に着手した98年、その8月に、前月の参議院選挙で大敗して総辞職した橋本内閣に代わる小渕内閣が、行政改革の目標として、10年間で国家公務員数を20%削減するという数値目標を公にし、翌99年1月までには、自民党と自由党の協議で、定員削減目標が25%に引き上げられるに及んで、通常の定員削減では達成し得ない目標であることから、国家公務員の定員と見なされない独立行政法人への移行が注目されるようになり、労組対策の必要から設けられたといっても過言ではない公務員型と非公務員型の独立行政法人について、特に、国立大学の独立行政法人化をめぐって大きな議論が巻き起こったのであった。
このように、選挙の度に各党の公約として示される「省庁のスリム化」のための有力な手法として、独立行政法人制度が位置付けられ、独立行政法人制度が定員削減の道具と見なされたことは、「新しい行政制度」にとっては不幸であったといわざるを得ない。遡れば、業務は、立案なのか執行なのか、その業務を実施するためには直営と民営のどちらが望ましいのか、そして、独立行政法人を選択する場合には、公務員型か非公務員型か、両者の間にはどのようなメリットがあり、どのようなデメリットがあるのかといった、本来検討されるべき一連の項目はほとんど捨象されて、定員削減のための独立行政法人への移行は是か否かが議論されることとなったのである。
確かに、当時、どのようなものになるとも知れぬ設計中の独立行政法人への移行を迫られてもいささか唐突の観は免れなかったであろう。それだけに、当時大きな論点となった非公務員型の独立行政法人について、間もなく発足を迎える現時点で事例研究を行い、公務員制度に与える影響を予測しておくことは、「新しい行政制度」の評価のためにも、また、03年には結論が得られることとなる国立大学の独立行政法人化をはじめとする今後の大型の独立行政法人(造幣局、印刷局、国立病院・療養所)の行方を占ううえでも重要なことであろう。