69) 行政改革会議事務局OB会編、前掲書の987−989頁には、当初のたたき台に手書きで修正を加えたものが掲載されている。なお、この修正の際に、職員身分について「独立行政法人の対象となる業務及び当該業務に従事する職員の身分の類型を具体的に決定するに当たっては、これまで維持されてきた良好な労使関係に配慮することが必要である」との一文が挿入されている。
70) このなかで、郵政三事業に加えて印刷・造幣も新型の公社に移行させる方向で合意が得られている。
71) 集中審議終盤の「ドタバタ劇」については当時の新聞が詳しく報じている。たとえば『朝日新聞』1997年11月19日、21日、22日付。
72) 答申が出た後の手続きについて、大森政輔法制局長官は、「行革会議の答申は(法律によらない・筆者補注)審議会の意見です。それをまず閣議決定することによって内閣の意見に一段階上げ、それをそのままただちに(基本法を制定することで・筆者補注)国会の意思に昇格させて、その後の行革作業の確固たる動かしがたい基準を固めてしまおうという手法なわけです。これは非常に有効だったのではなかろうかと思います。」と述べている。田中一昭・岡田彰、前掲書、16頁。
73) 当時の準備室員はこのことを「何も足さない、何も引かない」という某ピュア・モルトウィスキーのコピー文句に託していたという。田中一昭・岡田彰、前掲書、64頁。準備室(後には推進本部事務局)にはそのウィスキーのポスターも貼られていた。『読売新聞』1998年1月7日付。
74) 社民党とさきがけは6月1日に閣外協力を解消して与党の座から離れていたので、基本法案が参院で可決し、成立した6月9日の時点では与党ではない。
75) 1998年5月12日(衆院本会議)、6月9日(参院本会議)の会議録。
76) この時、民主党は別の法案(行政改革基本法案)を提出して、否決されている。
77) 推進本部は他に、国の行政組織等の減量、効率化等を推進するために必要な計画の策定に関する事務も担当する。なお、推進本部が発足する6月23日に、最後の行政改革会議(第45回会議)が開催され、6月末日をもって解散している。
78) 附帯決議は、「中央省庁等改革推進本部に第三者機関を設置する方向で積極的に検討すること」、「中央省庁等改革推進本部は同機関の意見を尊重するとともに、国会に対して適宜、報告を行うこと」などとなっている。
79) 顧問には行政改革会議の佐藤、藤田の両主査を含め、10名が就任した(座長は今井敬経団連会長)。労働界からも連合の副会長が就任している。
80) 橋本内閣の公約である国家公務員10%削減には、独立行政法人への移行分を含まないとされていたが、小渕内閣の20%削減(後の自自連立の際に25%に引き上げられる)には、これが含まれるものと理解されていた。太田誠一総務庁長官は第3回顧問会議(8月12日)で「10年間で(国家公務員を)20%削減する。これには独立行政法人化による削減が含まれる」と述べている。『朝日新聞』1998年8月13日付。