なお、小渕総理は就任前の自民党の総裁選挙で「国家公務員の20%削減」を掲げており、これが小渕内閣の公約となったことが独立行政法人の対象機関・業務の選定作業に微妙な影響を及ぼしていくことになる80)。
独立行政法人化に関する推進本部の作業の中心は、独立行政法人の対象となる機関・業務の選定であった。これにつき推進本部は、8月4日の第2回顧問会議において、行革会議最終報告の別表に掲げられた73の機関・業務の他にも幅広く検討対象を設定する方針であることを明らかにした81)。その結果、国立学校、登記・供託、印刷・造幣、職業紹介など25機関・業務を新たに追加して、合計98の機関・業務が独立行政法人化の検討対象となった82)。しかし、推進本部が第7回顧問会議(10月30日)で行った経過報告では、一定の条件の下で独立行政法人化の検討を行うとするものが半数弱で、独立行政法人化は困難とするのが過半数となっているなど、各省庁との折衝が難航していることが示された83)。一定の条件とは、財政的支援、適切な職員待遇、円滑な人事交流、国立の名称の維持等である。条件を付けずに前向きに検討中とされたのは国立病院・療養所のみであった。特に難航しているのが検査検定事務で、一定の条件での検討が1割、困難が9割であった。当時、独立行政法人化に対する関係機関の抵抗は激しく84)、労組、自民党の関係部会を巻き込んだ「官・労・族の三位一体での抵抗」の様相を呈しているケースもあると報じられている85)。
こうした動きに対して政府側は、野中広務官房長官が「独立行政法人化に積極的でないところは(検討対象の機関・業務への)予算を3割くらい削減する方針で臨まないとならない」と発言するなど、強い姿勢を示した86)。そこには小渕首相の公約である「国家公務員の20%削減」を実現するためには、一定数の独立行政法人化が不可欠であるという事情があった。推進本部は行革会議が最終報告で掲げた数字である73機関・業務を「最低ライン」と位置づけて折衝を続ける87)。推進本部は11月の下旬、最終報告別表以外に検討対象に加えた27機関・業務88)のうち12機関・業務の独立行政法人化を内定したと報じられている89)。しかし、この時点でも最終報告別表掲載の機関・業務のなかにも調整が難航しているところが残されており、これらはすべて閣僚折衝により独立行政法人化を確定させる方針でのぞむとされた90)。
その後さらに調整が進められた結果、翌99年1月8日に推進本部は合計84機関・業務の独立行政法人化を内定する91)。最終報告別表掲載の73機関・業務からは、法律的に難点があるとされた船舶検査、航空機検査、無線等検査、動物医薬品検査所、食糧事務(食糧検査)の5機関・業務が除外されたが、一度は検討対象から外されていた統計センター、計量教習所、国立特殊教育総合研究所の3機関が加えられ、さらに、最終報告で「廃止、民営化、地方移管を検討したうえで、独立行政法人化の検討対象とする」とされていた16機関・業務のうち、民営化等が見送られた職域病院(印刷局)、国立青年の家、航空大学校など13機関が対象に加えられた92)。