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問題が起きる度にそれに対応して後追いの形でやってきたということで、信じられないほどたくさんの法律があります。いろいろな意味での省庁の重複もあります。そういうことで、なんとか一本化しなければならないという意味での戦いをこれからも続けていかなければならないでしょう。

次には年代別にどういうことがアメリカで行われてきたかということをお話したいと思います。アメリカの海洋・沿岸政策に影響を及ぼしてきたことはなんでしょうか。

それは、トマス・ジェファーソンからだと思います。1700年代の話になりますけれども、しかしこのあとは1945年から現在までという形でお話をしたいと思います。1945年から1970年までの間は、国または連邦政府が州と管轄権を求めて戦いました。このような資源、海域は誰の管轄権にあるかということでありまして、1970年以来、いろいろな法律が導入されるようになりました。これは沿岸・海洋に関する政策でありまして、続く1980年代は実施の時代であったと言えるでしょう。能力構築の時代であったと言えるでしょう。そしてこの時期はレーガン大統領であったわけであります。しかし、彼の政府に対する考えというのは、権限の分散化ということでありました。そして連邦政府から州政府に対して、また民間部門にもっと力を与えようということでありましたので、1980年代に海洋・沿岸海域に関する多くのプログラムは、非常に厳しい脅威にさらされたと言っていいでしょう。連邦政府がお金を出さなくなったということで、そのときは民主党であったのですけれども、民主党のおかげで90年まで何とかプログラムが維持されたと言ってもいいでしょう。

90年代ですけれども、どういうことが行われてきたかということについてお話ししたいと思います。いろいろな国際活動が導入されたということ、それからまた利害関係者が、より多く参加するようになったということです。いろいろな人たちが、国の、州の、沿岸・海洋プログラムに参加するようになったのが90年代であります。

これがトマス・ジェファーソン大統領です(資料3-1 P54参照)。この人がワシントン大統領のもとで国務長官だったときに、彼はイギリスおよびフランスに対して、米国の領海を3海里とすることを書面で通知いたしました。このことについては、やはり笹川理事長がおっしゃったように、このときには弾丸が飛ぶのが3海里であったからだったのです。それが我々の海洋政策の第一歩でありました。

1807年にジェファーソンは大統領になりました。彼は通商についても科学についても大変深い関心を持っておりました。アメリカの歴代の大統領で最も科学に造詣が深かったので、彼は一つの法案に署名いたしました。これは「沿岸調査」という法案であります。そして、組織をつくることによって沿岸を調査しなさいと、水深を測りなさいということを言いました。その最初の組織はやがてNOAAになったわけですけれども、元々は沿岸調査を行ったのです。NOAAは最も古い科学的な機関であるということを認識していただきたいと思います。1896年に海底油田が初めて発見されまして、これはカリフォルニア州のオフショアだったんですが、1900年以前にも石油やガスがオフショアで生産されてきたということであります。

それから1940年代まではほとんど何も起こりませんでしたが、1945年になってトルーマン大統領が、非常に大きな資源が海底に賦存しているということを認識いたしました。特に石油・ガス資源があるということを認識いたしまして、1945年にこれらの海底および海底下の天然資源は、特に大陸棚にあるものは米国の管轄権の対象であるということを表明したわけです。

 

 

 

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