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イ 織田信長はバテレンを厚遇した。それは、次のような理由による。

・それまで信長は、政治勢力化した仏教に激烈な闘いを挑んでいた。

一握りの異国人がわざわざ日本に来て、日本人のために働き、宗教本来の使命に徹しているのに好感を持って見ており、それを助けることにより仏僧への見せしめとした。

・彼等のもたらした新しい知識の背後にある怒濤のような社会の動きに気付いていた。アフリカ、インド、中国、インドシナ、南北アメリカそしてヨーロッパという世界の大陸と大海を描いた世界地図一つを見ても、これを描くに至った知識の範囲の広さ、豊かさ、考え方の尺度の違いを感じとっていた。

ロ 豊臣秀吉は、当初、信長と同じであったが、1587年、劇的な転回を迎える。九州平定に出陣した秀吉が、博多で土地の実情に直接触れ、そして見たキリスト教に対する疑問は、次の通りであった。

・大名がキリシタンになった時、何故、領民もキリシタンになるよう強制するのか?

・何故、日本の諸宗と融和せず、社寺を破壊・焼却するのか?

・何故、ポルトガルの船が日本の少年少女を奴隷として国外へ連れ去るのを知らぬふりで見ているのか?

加えて、フランシスコ会とイエズス会の双方ともが、相手会派は布教によって日本を征服するつもりだと秀吉に密告していた。

このため、委吉は1587年6月、日本に合わない政治活動、宗教活動を禁止し、それを行う外国人に対して国外追放令を発した。

更に、1596年、四国太平洋岸に漂着したスペイン帆船サンフェリペ号の水先案内が「我が国王は、まず宣教師を派遣し、キリシタンが増えると軍隊を送って信者と内定し国土を征服するから、太陽の沈むことなき領土を獲得するのだ」と語ったという報告を受けている。

秀吉の見たキリシタンの危険とは、当時のヨーロッパ各国の支配者が見た危険と全く同じであった。即ち、ヨーロッパに拠点を持つ国外権力が一国の支配者の権力を越えて国を動かす危険である。

具体的には、神を代表するローマ法王への服従である。かつての浄土真宗以上に恐るべき存在となることを秀吉は見抜いたのである。

 

 

 

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