【食事はTOYOHARA】
ロシアでの生活の悩みの1つに食事があります。ロシア料理も時々はいいですが、連続では飽きてしまいます。その点、ユジノサハリンスクには、TOYOHARAという日本食堂があり連日通うこととなりました。日本人コックが料理するカツどん等のおなじみメニューを出してくれ、サハリン産ビールもまずまず、ミニスカートのロシア人ウエートレスも日本語のメニューを良く覚えていて笑顔のサービスも良好でした。
【ロシア太平洋艦隊出撃】
サハリンでの調査を終え、3月18日に再びウラジオストクに戻り、そこで調査団の帰国を見送って、調査・研究の資料整理を始めました。事務室は、再びウラジオストク港海事行政局3階の一室で、ウラジオストクRCCのヴイボロフ所長の部屋でした。その部屋は港を一望できる景色の良いところです。ある日、普段は静かな対岸のロシア艦隊の岸壁で主力のウダロイ級大型対潜艦4隻が、さかんに煙突から煙を出し、主機暖気運転をしているのに気がつきました。あとからわかったのですが、その日は日本海で工作船騒ぎのあった日でした。翌日、翌々日とも太平洋艦隊の岸壁はもぬけの殻で、領海警備を強化している体制が伺えました。
【150日間の調査・研究を終えて】
3月28日に、150日ぶりに帰国し、新潟空港の土を踏みました。派遣中の最低気温は-28度(サンクト・ペテルブルグ1月)、最も高い緯度は北緯59度(サンクト・ペテルブルグ)しかし、最高気温は、+6度(モスクワ10月)、最も南の地は北緯43度(ウラジオストク)でした。今後、短期在外研究員で、ロシア派遣を希望される方には、春から夏にかけての季節をお勧めします。(少なくとも防寒衣には困りません)
生活環境が日本と異なるため、不便を感じるのは当然のことですが、調査・研究に必要な資料の収集は、時間の許す範囲内でかなりでき、ロシア式現場合わせの日程で良くこれだけ出来たものだと我ながら感心しています。これも、ロシア側受け入れ機関の海洋汚染・海難救助調整庁とその地方機関職員の親身にわたる協力があったためで、感謝しております。また、極東ロシア滞在中は、ウラジオストク総領事館の川崎副領事に大変お世話になりました。紙面を借りて御礼申し上げます。