日本財団 図書館


【サハリン(樺太)はアメリカの植民地か】

ウラジオストクからサハリンに、3月1日に移動し、海上保安庁、災防センターからの派遣団の事前調査も兼ねて、コルサコフ(大泊)、ユジノサハリンスク(豊原)、ホルムスク(真岡)を視察し、13日から18日までは、派遣団と行動を共にして、サハリン北部の町ノグリキ(北緯54度)にまで行ってきました。サハリン滞在中に感じたのは、石油メジャー等、アメリカ人のプレゼンスでした。建設中の広大なアメリカ村や、ユジノサハリンスク中心街にあるオフィスビルとその中のアメリカンバーで交わされる何気ない英語での会話を聞けば、ここは本当にサハリン(樺太)なのかと疑いたくなります。

【ホルムスク救助支部への道】

ホルムスクという町は、昭和31年日ソ海難救助協定締結時に、ホルムスクと稚内の無線局が連絡手段として指定されてから、海上保安庁とは縁のある所ですが、海上保安官が訪ねたことは、あまりないでしょう。「きっと私が一番乗りだ」ということで、サハリン海難救助局(コルサコフ)にお願いして車を用意してもらい、シャーミン救難課長の案内で訪問することになりました。車は、トヨタクレスタの中古ですが、走り初めてすぐに後悔しました。運転手のマックスは、最高時速140キロで飛ばします。さらに、ホルムスクまでは、厳しい山越えに転落しそうな深い谷、無舗装道路、除雪も不十分。見とおしの悪いカーブから何時対向車が飛び出してくることか、ひやひやしながらマックスの4輪ドリフト走行の腕に命を預けたのでした。そして、ひそかにマックスに「マッドマックス」というあだ名をつけていました。途中雪が降り、立ち往生する車を尻目に、「マッドマックス」のおかげで、無事ホルムスクの町にたどり着きました。

ホルムスク救助支部は、ホルムスク港のフェリーターミナルの屋上にあり、職員4名の小さな部署で、常時1名で当直しています。所長さんが、日本から来た客を暖かく迎えてくれました。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION