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女性のJICA専門家の例

暴動が起きたため、帰宅しようとしたところ、玄関口には帰宅したいが足のない多くのインドネシア人がいたので、できるだけ乗せ(彼女の車には最大10名乗車できる。)出発した。自宅までの途中の道路が閉鎖されているということだったので、迂回して家とは反対の方向に向かった。道には若い兄ちゃんがたむろして、金をせびり、金を取り損ねた車は引き倒して焼いていた。彼女の車は同乗していたインドネシア人が「プリブミ(華僑ではないインドネシア人)」と叫びながらなんとか走りぬけることができた。

「多くの中華系インドネシア人が車から引きずり出され、袋叩きにあったという話を聞いて、ゾッとした、玄関口でインドネシア人を乗せたのがラッキーだった。」とは彼女の後日談です。

某商社マンの例

一般道路を通って帰宅するとPasar等危険な地域を通過するため、高速道路を利用した。初めは順調に走行できたが、途中でノロノロ運転となった。突然前方の車が逆走し始めたので、これは、まずいと思い運転手に反転するよう指示したが、団子状態で立ち往生しているところを暴徒に襲われた。棒切れを持った連中は人間とは思えぬ形相で窓を叩き割り、手を突っ込んで略奪を始めた。抵抗することなどできず、観念して、為されるままに持ち物は全て奪われた。隙をみて、後部の扉から逃げ出したが、獲物を奪い足りない暴徒がなおも追いかけてきてポケットに手を突っ込んできたので「もう、なにもない。」と叫びながら必死で逃げた。途中、中年のインド人婦人と息子が言葉も出ず哀願する様子だったので、手を引いて高速道路を右往左往するうち、親切な人が手を貸してくれ、3m下の一般道路に下りることができた。その人は自分の住む地域のRT(町内会長)の家に案内してくれ、そこで保護された。RTの家からはアパートのガードマンに迎えにきてもらい、顔を隠してバイクの後に乗って帰宅した。途中で見たショッピングセンターの放火や暴徒が次々に物を奪う姿は地獄のようで生きた心地がしなかった。

一方、日本人学校の生徒は当日は帰宅せず、夕食の手配に苦労したようですが、学校で一夜を過ごし、明け方安全な時間を見計らって帰宅したと聞いています。

 

 

 

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