海外派遣職員便り
ジャカルタ暴動事件
JICA専門家
生方章
1. はじめに
1968年以後、スハルト大統領は30年間インドネシアのリーダーとして君臨し、大統領にだけ権力が集中するような政治経済体制をつくりあげました。その結果、近年はスハルトファミリーのビジネスに関連する汚職や政府の主要なポストをめぐる縁故主義が国民から批判を浴びるようになりました。1998年3月スハルト大統領が7選を果たすと学生は打倒スハルト政権、汚職追放を求めてデモを繰り返し行うようになり、民衆は米やガソリン代の値上げに音を上げていたのです。5月14日の暴動はこうした一触即発の状態で、軍隊がデモを強行しようとしていた学生に発砲し6名が死亡したため民衆の怒りが一気に爆発したということになっています。
しかし、打倒スハルト政権や物価高騰に対する怒りが華僑を対象にした放火、略奪、婦女暴行にまで発展した暴動と因果関係はないように思われます。巷ではスハルト元大統領の娘婿であるプラボウ将軍が配下の戦略予備軍を使って暴動を扇動したとの風評がありますが、失業者の増大や物価の暴騰で普通の市民が暴徒化する下地は十分に整っていたのです。
2. 暴動当日
1998年5月14日、前日にトリサクティー大学で多くの死傷者が出たという噂を聞いて、出勤に不安を感じましたが、会議の予定が入っていましたから、予定どおり出勤しました。気がつくと周りにいた職員のほとんどが窓側にあつまり外を見てワイワイ言っていました。そこには黒煙が4〜5本上がっており、これは、暴動が始まったなと直感しました。幸い私が勤務している役所からアパートまではジャカルタの幹線道路を通って10分で帰れますので何事もなく帰宅することができました。しかし、勤務先と自宅の間にパサール(市場)等人が集まる所を通って帰宅する人は大変な思いをしたようです。