このように既に撹乱された生態系を、そのまま放置しておいては環境の修復は期待できない。人間活動によって撹乱された沿岸生態系を、そのまま放置するのではなく、積極的に環境の修復を目指すことが求められている。そこで、本研究では、撹乱された沿岸生態系において優占種となり、富栄養化の象徴とも言うべきムラサキイガイの高い生物生産能力を、逆に積極的に利用して環境修復を図ろうと計画している。
ムラサキイガイは、内湾域の鉛直護岸などに付着するなどして、海底環境にダメージを与えたり、火力・原子力発電所などの冷却水導入管の閉塞を引き起こしたりすることから、その分布や成長などに関する研究はかなりなされている。また、古くから養殖の対象生物であった欧米では、その生理・生態学的な研究が数多く行われている。しかしながら、ムラサキイガイの個体群動態と、海域環境の生物浄化を統一的に捉えて研究している例は見られない。そこで、本研究ではまず、モデル海域におけるこれらの付着性二枚貝の現存量を明らかにし、続いて付着基盤の選定実験を行った。同時に海域環境の詳細なモニターも実施し、現場実験の基礎データを得た。さらには、現場での付着実験と平行して、室内における摂食実験などを実施し、モデル化のための資料を得るとともに、これら付着性二枚貝の生態機能についての詳細な情報を収集した。最終的には、適正な海域環境を創出するための具体的な提言を行うことを目指している。
洞海湾における主要な付着性二枚貝であるムラサキイガイおよびコウロエンカワヒバリガイ(Limnoperna fortunei)の、湾内での現存量の季節変動を調査するために、1991年から92年にかけて計4回のはぎ取り調査を行った。また、1995年および96年の4月から10月にかけて洞海湾内の1〜2定点においてロープを用いて作製した付着基盤を沈積し、ロープに付着した二枚貝の個体数の計数・湿重量および殻長の測定を行った。この際、定点付近の海域環境を把握するためS、T、DOなどの測定も行い、3層から採取した海水試料中の栄養塩類および粒子状の親生物元素の定量を行った。さらに、二枚貝体組織中に含まれている有機態炭素(C)、窒素(N)および全リン(P)の定量を行った。
洞海湾内に生息するムラサキイガイの個体数は、稚貝が付着する5月に最も多く、10月、12月には少なかった。逆に、コウロエンカワヒバリガイは10月および12月に個体数が多く見られた。また、湾全体のそれぞれの生物量は、湿重量で149〜338トンおよび98〜177トンと計算された。付着実験では、湾中央部のStn.Tにおいて4月から7月にかけてムラサキイガイが優占種となっていたが、8月以降は死滅し代わってコウロエンカワヒバリガイが優占種となっていた。湾奥部のStn.Mでは、5月ごろからコウロエンカワヒバリガイの付着がみられ、ムラサキイガイは5月と6月に存在が確認されただけだった。8月にみられたムラサキイガイの大量死亡は、水温上昇によるものと考えられる。ムラサキイガイ1g中に含まれているCは、43mg、Nは10mg、Pは0.7mgであり、コウロエンカワヒバリガイではそれぞれ、80、21、2.1mgであった。これらの値から、洞海湾内に生息しているムラサキイガイとコウロエンカワヒバリガイの体内に蓄積されているC、N、P量を推定した。ムラサキイガイではC量は3.5〜7.9トンであり、N量は1.0〜1.9トン、P量は0.10〜0.18トンの範囲内であった。次に、ロープに付着した二枚貝を陸上に回収することにより、海域のN・Pレベルを下げる目的で、洞海湾の海水1m3当たりに負荷されるN・P量の見積もりと、1m3当たりに1本ロープを垂下したと仮定したときの2種の二枚貝中に含まれるN.P量の推定を行った。その結果、負荷量に対してNでは約4〜5割、Pでは約3〜4割に相当する量が二枚貝中に蓄積していることが明らかとなった。大阪湾におけるN・Pの流入負荷量に対する、漁獲によるN・Pの回収率はそれぞれ3.5、4.6%であるので、N・Pとも10倍近い高率で回収が可能であることが判明した。