5. 北極海航路実船航海試験の実施とその評価
5.1 はじめに
NSR利用の可能性は、INSROPで種々検討されたが、それらは北極海データベースの作成・整備など、どちらかと言えばデスクワーク的なプロジェクトの多いのが特徴である。一方、日本独自のプロジェクトとして、模型試験ベースの氷海航路航行用最適船の研究開発が行われてきた。しかしながら、模型実験と環境データが揃えば最適船が設計・建造でき、最適な運航ができるかと言えば、そうではない。実際の航行環境、運航技術、船体性能・応答などの定量的データ、ノウハウなどを実体験とともに取得し、それを活用して将来の研究開発の糧とすることが必要不可欠である。そのため、日本財団の支援の下、シップ・アンド・オーシャン財団の実施によるNSR実船航海試験が1995年夏に行われた。本実船航海試験の目的は、NSRの実態を実体験を通して総合的に把握するとともに、衛星氷況データ、船体性能データなどの多岐にわたる情報の統合化による、将来の安全かつ効率的な氷海航行のための基礎データを取得することである。
ゴルバチョフ書記長による1987年10月1日のNSR開放宣言(2.2節)以降、NSR最初の西側資本による商業航行は、ドイツのハンブルクの海運会社Detlef von Apen社が、今回用いたKandalakshaの姉妹船のSA-15型氷海商船(4.1.2(1)節)Tiksiをチャーターして、ハンブルクから千葉まで14,109トンの金属貨物を輸送した航海である(Matyushenko,1992)。当船は、1989年7月12目にハンブルクを出港し、同年8月4日に千葉に到着した。その後、7月から10月にかけて、NSR利用によるヨーロッパ・極東間の海上輸送が、幾度か行われた。西側船としての最初の全NSR航行は、1991年に行われたフランスの観測船L'Astrolabeの、西から東への航海であった。但しL'Astrolabeは僅か950トンの小型船であり、航海そのものもデモンストレーション色の強いものであった。また、1995年夏の本試験航海以降、1997年秋にフィンランド船Uikkuが、最初の西側貨物船として、プロビデニヤ湾まで全NSRを航行している。貨物はディーゼル油であった。(, 1999)。その他にも、最近は、ラトビア、フィンランド、ドイツといった非ロシア船によるNSR航行実績があるようである。
これらに照らし合わせて、本試験航海の意義は、使用した船はロシア貨物船であるものの、通常の貨物を搭載した航海に対して、種々の分野の専門家、学識経験者からなる国際調査団が全航海を通して乗船し、詳細にわたり客観的に航海を評価するとともに、自然環境や船舶の氷中航行性能についての基礎データを収集したことにある。
5.2 実験計画
試験船としてロシアの第一級氷海商船であるSA-15型シリーズ船(最初に建造された船名からNorilsk型とも呼ばれる)を選定し、1995年夏に日本からヨーロッパまでの実船航海試験を、貨物積載状態で行うこととした。4.3.2節に記されているように、ロシア発行の"Guide to Navigating through the Nortern Sea Route"によれば、NSRの航行には4カ月前の申請が必要である。しかし、本航海は科学的調査を含むため、ロシア連邦共和国閣僚会議決定第400号「ソ連の北極海沿岸地用接続水域における学術遠征活動実施および観光旅行実施に対する許可の交付に関する臨時規則の承認について」に従い、実施6カ月前までの申請が別途必要であった。