5. 災害と外国人
ここでは、災害に対応する社会制度と外国人との関係から、非常時および緊急時における外国人への行政対応の問題を考えることとしたい。
この問題を考えるきっかけとしてまだ記憶に新しい1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災から、災害と外国人、防災と外国人という問題を検討していくことにする。この大震災で明らかになったことは、神戸市長田区に代表されるような老朽化した住宅や、込み入った住宅地に住んでいた高齢者や外国人住民ほど震災の犠牲となりやすく、そうした人達は「震災弱者」ともいわれた。これは建築物、道路、橋梁といった都市基盤への「ハード」な防災対策のみならず、まちづくりやコミュニティ活動といった普段からのネットワーク形成(「ソフト」な防災対策)が、非常時・緊急時に関わらず大切であることを示したものであった。
日本の防災対策を考えるとき、自治体では防災訓練、防災無線、火災訓練等の対応策はあるが、「震災弱者」である高齢者や日本語が堪能でない外国人に対して十分な対応ができていたであろうか。いや、国民レベルでさえ十分な防災対策ができているとはいえない状況にあった。それは阪神・淡路大震災後の自治体の防災対策の見直しを見れば明らかなことである。
一方で、文字が読めない、防災情報や関連情報がどこにあるかわからない、常々そうした情報と接する機会が少ないなどから、外国人への防災対策が難しいとされる。しかし、こうした問題は外国人に限らず、小さな子供が公園で遊んでいる最中に大災害が起きたときどう行動するのか、老人が公園で休んでいるときどう行動するのかといった社会的の全構成員に対して防災体制ができているのかといった基本的問題に相通ずるものである。
したがって、防災対策としての外国人への対応は、外国人と区別するものではなく、小さな子供たちや高齢者への防災対策と同じレベルで、いかに震災弱者を生まない社会体制をつくっていくのかが問題とされているのである。
(1) 阪神・淡路大震災と行政の対応
ア. 阪神・淡路大震災の被災状況
この大震災に際してわが国の危機管理システムは、十分に機能しなかったという批判がある。それは、初動体制に臨む指揮管理、情報の一元化、関係機関との連絡調整システムなどの不完全な体制への批判であり、そのためその後の二次災害をくい止めることができなかったというものである。
阪神・神戸地域においては、太平洋プレートの地震地帯にある伊豆地方や関東と違い比較的頻繁に地震に襲われていた地域ではなかった。これは、ある程度小規模な災害に対する防災対策は十分であっても、府県をまたがる大規模な災害に対する防災体制が十分であったかどうかが問題となる。