多くの出会いに支えられて
岩手医科大学附属病院
長澤 昌子
受講の動機
1999年12月、認定看護師教育課程の研修を修了し、冬景色の盛岡に戻って勤務に復帰しております。振り返れば、入学案内を手にして受験申し込みの準備をしていたのが1年前、2月の入試は東京も肌を突き刺すような寒い日でしたが、それを忘れるほどの緊張感があったことが思い出されます。合格の通知を手にしたのは、盛岡にはまだ雪の残るひな祭りの日でした。そして6月の開講式、季節は初夏に移り、清瀬の研究センターを再び訪れ、不安と期待で胸が一杯な上に、その場の雰囲気と岡谷先生からの激励の言葉でさらに緊張感が高まりました。それからの6か月は日々新しい刺激の連続で、あっという間に過ぎたような気がします。しかしその中で、私の思いを理解し協力してくれた施設の上司があり、思いを共有し話し合える仲間と素晴らしい講師の先生方、そして実習場で指導してくださったスタッフとの出会いがあったおかげで、多くのことを学ばせていただき、大変充実した1年間を過ごすことができたと思っています。
私は、大学病院の外科病棟に新卒以来約12年間勤務しており、がんの患者さんと接してきました。病棟にはがんのあらゆる病期の患者さんがおり、がんが初期に発見され、治癒を目指して手術を受ける患者さんや、進行した状態で化学療法や放射線療法を受ける患者さん、そしてその隣のベッドに終末期の患者さんがいるといった状況が日常的にあります。その中で、特に終末期の患者さんの看護にあたっては、何か他にできることはないのかといった無力感を感じながらの毎日でした。身体的な苦痛も十分に緩和されず、精神的な苦痛にまで手を差し伸べられていないのではないかというような思いを抱きながら、もっと患者さんの役に立てる看護婦でありたいという思いが強くなってきました。人生の終末期にあって全人的な苦痛を抱える患者さんに対して、十分な時間をとって側にいることすらできない現実や、薬や医師の指示に頼っていることが多く、看護婦の役割とは何なのかといった疑問を持つようになりました。
そのような中で、特に忘れられない患者さんとの出会いがありました。昨年、私は3名の終末期の患者さんの訪問看護に携わる機会がありました。病棟看護婦として入院中からの関わりをもとに、外来通院していた患者さんに対して、患者さんと家族の希望に沿って訪問看護を開始したのです。その中の1名は在宅で臨終を迎え、私は初めてその場に立ち合うことになりました。設備もなく、医師も側にいない状況で臨終に立ち合うことは非常に不安でしたが、患者さんが住みなれた家で家族に囲まれ、家族に感謝の言葉を残し、穏やかに旅立った場面は心に強く残りました。その経験を通して、私はあらためて自分の専門的な知識の不足や援助技術・コミュニケーション技術の不十分さを思い知らされることになりました。
また一人の人間として本来自律した存在である患者さんに対して、看護婦として何ができるか、何をすることが援助になるのかといった課題にあらためて向き合うことになりました。また、必死に生を全うしようとする患者さんから私自身が励まされたり、多くのことを学ばせられることがあり、何か返せるものはないのかという思いも強くなりました。