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がんを罹った患者さんは最期まで人として生き続けたいと望んでいることをこの身を通して感じながら、その患者さんに私達は何をし、何ができるのだろうかと考えた時、自分には知識も技術も不足していると感じたのです。

 

実習の成果

 

国立がんセンター緩和ケア病棟で実習させていただきました。症状マネージメントの充実している中での実習は学ぶものがたくさんありました。

机上での学びは10年以上の経験のある看護婦にとっては充実したものでした。頭では知識とともに技術までもが身に付いたと錯覚していたところがあったと思います。ところが、いざ実習に出向くと何一つ今までと変化していない自分に気づかされ、戸惑いとショックを受けました。そんな私にスタッフのみなさんは丁寧に時間を割いてくれ、ご指導くださいました。今までのやり方が身体から抜け切れていない私に、なぜかと問いながら間接的にアドバイスをくれ、自ら考え、自分で修正できるように導いてくれたと感じています。

また他職種との連携を知るために合同カンファレンスヘ参加させていただいたり、国立がんセンター東病院PCUが独自に行っている在宅電話相談の現状について快く説明してくださったり、外来の様子を見学させていただいたりと、これから携わっていかなければならない課題のヒントや対策法を直に見せていただけたと思っています。

ここでの経験は、今までの医療者としての自分の意識がどんなに違和感を感じていても、どんなに抵抗してみても、「医療者主体」という域を越えていなかったと実感させられました。「患者主体」の医療・看護とはどういうことか、それをどう自分の中に吸収・消化していくかという根本に気づき、向き合うことを学ばせていただけたと思っています。そして今後関わる施設や医療者とどう関わることでホスピスマインドを理解してもらえるかを、落ち着いて考えられる機会となったのではないかと感じています。

地元に戻り、この感触をどこまで伝えられるのかはわかりませんが、少なくとも実習での経験を振り返ることで、自分自身を勇気づけられるのではないかと思っています。

 

今後の展望

 

秋田県の中心である秋田市にある総合病院でさえ、緩和医療・緩和ケアに対する意識は非常に低いと思われます。私が在籍していた病院でも科の差はあれ、病名告知率は20%に満たないものと思われます。それは、告知をすることは患者に害を与えてしまうという意識の強さもありますが、告知をどう行うべきなのか、告知を行った後はどういったフォローが必要なのかがわからないことに起因しているのではないかと思われます。また、医療チームを考えた時、その頂点には主治医がおり、患者やその家族は含まれない(治療方針の決定までの経過は伝えない)という形態が根強く定着しています。その中で医師の「攻めの治療」ができなくなった状況を認める屈辱感もまだ強いのではないでしょうか。その他看護婦と協働することに抵抗を示す傾向も強いと感じます。

看護婦もまた、自分の能力や責任に対する自己評価をしていないように感じます。全てのケアは医師の指示の下に行うものという意識が強く、看護婦として何ができ、どこまで責任がとれるのかを意識せずに業務をこなしている部分も否定できないでしょう。また、俗にいわれる「サラリーマン看護婦」も決して少なくありません。

半年の教育課程はそれらの問題解決のためのヒントや方策に対するアドバイスを教えてくれたと感じています。なかでも、戦後間もない日本の医療の姿がまだ残っていると錯覚させるような秋田では、自分がその環境のなかでどう動けばいいのかが見えてきたように感じています。まず一つに、まだまだ保守的な土地とそこで暮らす人たちを認めることです。いいかえれぱ、「ここもいい所だ」と思えるようになることだと思いました。

 

 

 

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