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ホスピスケアコースの教育課程を終えて

 

医療法人青嵐会本荘第1病院

苅安 真佐美

 

受講の動機

 

秋田市にある自治体病院の外科病棟に勤務しているときのことです。胆嚢がんで肝臓にも転移している60代の男性がいました。彼はOP後、一旦は退院したものの、食欲低下や倦怠感・黄疸などの症状悪化により、まもなく再入院されました。化学療法も行いましたが、ほとんど効果はなく対症療法しか手だてがなくなり、PTCDやPTGBD・ERCPのほか、IVHも挿入されていました。当院はほとんどの患者さんには病名告知をしないので、どんどん衰えていく自分の身体に不信を抱き、医療者はおろか家族とも話をしなくなっていきました。

夏が訪れ夏祭りの時期になりました。この時期、東北4大祭りで有名な竿燈祭りを控え、各町内から祭り囃子の練習の音が聞こえてくるようになりました。江戸時代から続いているこの祭りは市民の多くに親しまれており、男なら一度は竿を持ったことがあるといわれます。もちろん、この患者さんも例外ではありませんでした。彼は囃子手だったのです。私も当時囃子手でしたので少し祭りの話を他の患者さんとしていました。その会話を聞いていた彼は独り言のようにこういいました。「まだ俺にも(太鼓を)叩けるかな」と。昼間に病院前に挨拶回りにくる竿燈を見にきてはどうかという私の提案に「こんな身体じゃ無理だよ」とおっしゃいました。ずっと閉じこもっていた患者さんが初めて自分の気持ちを出してくれたことがとても嬉しく、なんとか願いを叶えられないものかと婦長やスタッフに相談しました。難色を示したのが主治医でした。死んでも責任はとれないとはねつけられましたが、どうしても諦めきれず婦長の説得のもと、車椅子での見学が許可されました。

1週間前から38℃前後の発熱が続いていましたが、患者さんはとても楽しみにしていました。当日、38℃の熱は持続していたのですが、患者さんの強い希望もあり車椅子で見学に見えました。妙技が始まってまもなく、患者さんはゆっくりと立ち上がり太鼓のそばに歩みより、しばらくじっと見つめていました。そして私に「1回だけでいいから叩かせてくれないか」とおっしゃるのです。私たち囃子手は彼にバチを渡し、太鼓の前に招きました。すると、ベッドで横たわっている姿からは想像もできないバチ捌きを披露してくれたのです。

時間にしてわずか数秒のことでした。その時彼は、今までに見たことのない満面の笑みを浮かべて「ありがとう」とバチを返されたのです。それから彼の食欲はみるみる増し、活気を見せ始め、他患と会話を交わすようになりました。ある日彼が私に「太鼓を叩かせてくれたおかげで、俺はまだやれるんだってわかったんだ」と優しい表情で話してくれました。

予後3か月といわれていた患者さんはその後退院され、1年後に他界されました。

それまで患者との関わりに漠然とした疑問を抱いていた私は、答えを見出す糸口を見つけたような気がしました。その頃に「ホスピス」という言葉に出会ったのです。私の興味は徐々に膨らみ、文献を読みあさるようになりました。そして死を見つめながらがんと闘う患者さんに関わっていきたいと強く思うようになりました。

 

 

 

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