7. 浪華丸帆走実験のための曳航、係留艤装について
帆走実験の基地となった日立造船(株)堺工場の岸壁は堺港の埋め立て地の奥まった場所にあり、普通の荒天までは安全な泊地である。しかし浪華丸は帆走実験の後、大阪市「なにわの海の時空館」の中心展示になる船であり、しかも舷側はその名の由来である菱垣をはじめ精巧な木造工作物と飾り銅板に覆われているから、一般船舶と同じような岸壁横付けはできない。
そのため大阪市港湾局の船艇、器材を投入して岸壁の沖に2トンの係留用錨を2本打ち、岸壁の係船柱2本とあわせて4点係留で岸壁から10m余の距離をおいて係留する方法を取った。
問題は浪華丸は排水量150トンにおよぶ船にもかかわらず、動力係船設備を持たず、また推進動力もない。これに加えて弁才型帆船はどうしたものか、係留索や錨綱を止めるための係船柱の類が見当たらない。
結局、船首側のstrong pointとしては合羽甲板の前端にある「横山」と称する太い梁の内舷側を用いた(図1参照)。この梁のすぐ前にある前間(さきのま)は非水密甲板でその板子を外せば「横山」梁に係留索等を巻き付けて止めることができる。
船尾側は初めのうちは船尾曳航索と同じく船尾端近くの「蹴上げ船梁」を使ったが、係留作業に不便なので、後には船尾甲板上の「艫の車立」(船体に強固に取り付けられ、舵の頭部を支える一対の柱)を利用している(図1参照)。
これらのstrong pointに係留索を引き付けるには索の途中にテークルの動滑車側を仮止めし、テークルと手回しウィンチで引き込んだ。これで風力7くらいまでの横風に逆らって船を引き寄せることができた。それ以上の風力は経験してないが、おそらく無動力のこの船では対処は困難で、曳船の力を借りなければならないかと思う。
基地から実験海域への経路は図12に示すように狭い水路や船舶の輻輳する海面が多いので、無動力の浪華丸は曳航する必要がある。再び問題は曳き綱を取るstrong pointである。曳航速力6ノットで約1.5トン、7ノットで2トン程度の曳航力が見込まれたが、発進時や回頭中はさらに大きい力になるかも知れない。さらに大阪市港湾局は安全上、船首船尾2隻の曳船を使う段取りなので、場面によっては両方の船で引き合わせることもあり得る。
このような荷重条件を考慮すると、係留に使う「横山」の梁でも船首曳綱を取るには不安があり、特に回頭時の横引きには問題が多い。結局、船首材の水面近くを通って両舷外側に大回しロープを掛け、その両端は帆柱か、大きな船梁に止める、そしてこの大回しロープが船首材と交わるところからもう一本別の曳綱を曳船に延ばすことにした(図13)。初めは帆柱を使ったが途中からは「舳赤間船梁」(船の全長の船首から4割ばかりにある頑丈な船梁)の内舷側に大回しの端を止めた。この大回しが舷側を越えるところや、船首外舷の突出部、すなわち「二番船梁」の端や「下かんぬき」にこすれるところ、それから船首材との交点などのすれ止めはほとんど毎日補修の必要があった。
船尾の曳綱は両舷各一本をそれぞれ「蹴上げ船梁」(図13参照、船尾から2番目の船梁)が両舷外側へ突き出している部分に巻き付けたのち船内の仮設係船柱に止めた。この船梁の外舷突出部分は弁才型荷船が櫓を押していた時代の名残りで船梁が露出しており、しかも船内の覆い板を外すとその部分がすぐ足許にあるから曳綱を取る作業に便利にできている。こうして両舷から後ろへ延ばした一対の曳綱は10数メートル先で一本になり、さらに船尾の曳船まで延びる。