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だが、このオーシャン・ガバナンスの立場そのものについて、いまだに多くの異論が発せられていることを、一般読者には説明しておかねばなるまい。

この論文とのかかわりで言えば、「人類の共同の遺産」を管理するという発想において、その管理する国際法主体(entity)が一体誰かという点は専門家のあいだにコンセンサスがない。それは、個別国家か、地域機構か、国連等の国際機構なであろうか。

そもそも、国際法は基本的に国家間の法である。それには国際機構が含まれてもよいのだが、要するに、国家同士の関係において、権利を有し義務を遂行できる者が、主体となり得るのである。

すると、「人類」はその主体となりうるのだろうか。「人類」という概念は、法的に極めて曖昧であるが、そのような曖昧な主体が国際法の主体となりうるのだろうか。このような議論は専門家のあいだでは日常的に交わされる議論であるが、この論文には、法的に明確で説得力のある考察が全くなされていない。一般読者の注意を促したい点は、まず、ここにある。

さらに、Freidheimは、国連海洋法条約を一種の「海洋の憲法」であるとするが、これにも異論がある。国連海洋法条約は、その複雑な成立過程から理解されるように、妥協の産物であり、実際には一般の多国間条約なのであって、ほかから超越した特別な条約などではないのである。国連海洋法条約は、本来は、一元的で包括的な国際立法としての成立を目指したのであるが、それは、実現しない夢となった。本来の創設の意図によれば、理想的な国際立法は、個別国家による都合の良い援用を許さぬもので、コンセンサス・ルール4とパッケージ・ディールを基礎として採択されるはずであったのだ。

しかし、そうした理想は現実の前に屈折した。条約起草の最終段階で、表決方式へと変更されたことで、立法の一元性は破綻した。そして、国連海洋法条約はあくまで一般条約に留まったのである5

したがって、国連海洋法条約が超越的な「海洋の憲法」などではなく、一般条約である以上、そこにはおのずと限界がある。たとえば、非当事国は、「人類」の一員であっても、本条約を遵守する義務はない。

この論文は、国連海洋法条約を「海の憲法」であるかのように称しているが、それは一般読者に誤解を与えかねない。また、理想と現実のギャップをいかにして克服するか明確な論述が欠落しており、それが、この論文の弱点となっている。

 

4 コンセンサス方式とは、交渉中の条約草案について正式の反対表明を行なわず、また表決に付することも要求しない等、実質問題についてはなるべく多数決で押し切ることを避け、各国の重要利益が相互代償の形で適切に確保されるように、全体の合意に到達するための一切の努力をつくし、交渉国相互の立場の相違の調整をはかるという方式である。

山本草二、『海洋法』(有斐閣、1992年)、37-38項。

5 村瀬信也、「武力不行使に関する国連憲章と一般国際法の適用関係」、『上智法学論集』第43巻第3号(平成11年12月)、30貢、注(39)。

 

 

 

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