1:パルドー演説から国連海洋法条約発効までの27年
海洋法に関する国際連合条約(以下、国連海洋法条約とする)が1982年に策定されたことはよく知られていると思うが、これが、1967年のパルドー演説に端を発したものであることから説明する必要があろうかと思う。
このパルドーというひとは、マルタの大使で、「人類の共同の遺産」という有名な演説で後世に名を残したのであるが、これは、当時のレジームであったジュネーヴ海洋法条約に対する挑戦であった。すなわち、ジュネーヴ海洋法条約が定めた大陸棚制度の外側に、新たに深海底制度を設立するという提案であり、深海底の区域と資源を「人類の共同の遺産」とすることを提案したのである。
この革命的なパルドー提案によって、新たな国連海洋法のレジームが胎動するわけだが、翌68年には、国連内部においてはやくも海底平和利用委員会が設置された。
こうして着手された研究は、1970年の国連総会決議に導かれるのであるが、この時点で、深海底制度だけでなく、海洋に係る全ての分野の検討が構想され、その検討のために3年後の1973年には、第三次海洋法会議を開催することが決議された。
この第三次海洋法会議は翌74年から実質審議に入ったが、7年後の1982年までに第11会期を重ね、ついに国連海洋法条約が採択されたのである。
この条約の最終議定書署名会議がジャマイカのモンテゴベイで開催されたのは、同年12月のことであり、こうして、パルドー演説から15年の歳月を経て、一連の作業が終了されたわけである。
この間、第三次海洋法会議に与えられた「海洋法の全分野を再検討する」という目的達成のために交渉が大荒れとなり、大難航したことは周知のとおりである。
国連海洋法条約の発効のためには60カ国の参加がその要件であるとされた1。しかしながら、米国等の西欧先進諸国は、この条約の深海底制度に強い不満をもち、条約への参加を拒否したのであった。その結果、国連海洋法条約は、あわや開発途上国だけの参加による片肺発効となりかけたのであった。結局、これを危惧した国連事務総長の努力で、1994年7月に「国連海洋法条約第11部実施協定」が策定された。
そして、努力を重ねた結果、ついに先進諸国と開発途上国は深海底制度についての同意で妥協した。国連海洋法条約と「国連海洋法条約第11部実施協定」とを併せて暫定的に適用することで2、同条約は1994年に発効にこぎつけたのであった。パルドー演説から数えれば27年目のことになる。
なお、日本が同条約を批准したのは1996年7月であり、この日は海の記念日とよばれている。
2:論文の要点
さて、Freidheimはこの論文で、第三次海洋法会議の交渉過程と会議での議論の論点を簡潔に紹介している。
1 国連海洋法条約第308条。
2 国連海洋法条約第11部実施協定、第7条1項。