1930年の国際法法典化会議でも、この接続水域が取り上げられた経緯があり、1958年の「領海及び接続水域に関する条約」によって、制度として認められ、今回の国連海洋法条約においてもこれが踏襲されたのである。
58年の条約では、接続水域の幅は基線から12海里を越えてはならないとなっていたが、82年の国連海洋法条約では、領海12海里を採用したことを受けて、接続水域も基線から24海里を越えない範囲に拡大された。この接続水域においては、沿岸国は自国の領土又は領海内における通関上・財政上・出入国管理上、又は衛生上の法令の違反の防止、又は処罰のために、必要な規制を行うことが出来る(第33条)。
具体的には、不法入国や薬物・銃器等の密輸の防止を図るための水域であり、これまでわが国はこの制度を採用していなかった。国連海洋法条約の批准に際し、領海法を改正して接続水域の制度を採用することにしたことにより、不法入国や密輸などの犯罪の取り締まり海域が拡大し、従来以上に海上での効果的な措置がとれるようになったのである。
(8) 排他的経済水域
排他的経済水域は、この国連海洋法条約(第5部)において新しく登場した海洋の区分で、基線から200海里の範囲内で設置出来る区域である。この200海里水域は第二次世界大戦後に現れた考え方で、深海底と共に新しい海洋法に見られる最大の革新と言われている。
発端は1947年9月28日、米国のトルーマン大統領が大陸棚に関するトルーマン宣言を発表してから2年後、大陸棚の欠如するアンデス3国(チリ、ペルー及びエクアドル)が地理的不平等の是正を求めて主張したことに始まる。
この主張には生物資源確保の観点から、一応の理論的根拠があったが、その後は200海里という数字が一人歩きを始め、殆どのラテンアメリカ諸国が200海里水域を主張し、第三次国連海洋法会議中には、この動きが大部分の開発途上国に拡大し、更にはフランス、ソ連を始めとする先進諸国にも波及して行った。こうした情勢を反映して、200海里の排他的経済水域が、新しい条約において制度化されることになったのである。
国連海洋法条約では、排他的経済水域の範囲は、基線から200海里を越えない範囲と規定されており、沿岸国はこの水域において海底の上部水域並びに海底及びその下の、天然資源(生物であるか非生物であるかを問わない)の探査・開発・保存及び管理のための機能を有している。
またこの水域での経済的な探査及び開発のためのその他の活動(天然資源の探査開発以外の活動、例えば海水・風からのエネルギーの生産)に関する機能も有している。これらの権能は、経済的な探査開発と言う事項に限定された権利ではあるが、排他的であることから主権ではないが、主権に近い権利ということで「主権的権利」と呼ばれている。