仮に、排他的経済水域内でタンカーによる原油流出等の事案が発生し、適切な対応に疑問のあるような場合は、国際海洋法裁判所に訴えられる可能性があるのである。漁業等、資源の問題に関しても同じである。南太平洋等の小島国家の中には、膨大な排他的経済水域を有することになったものの、適性な漁獲可能高を定め、それを管理するために漁業状況を監視するといった能力の無い国もあろう。地域的な協力も必要となってくるであろう。三本目の柱の国際協力は、紛争の平和的解決と資源・環境の保護のための国家間における相互支援の呼び掛けである。海洋をグローバルなものとしてとらえ、そこに生じる諸々の問題は、国際的な取組によって平和的な解決を図ろうとするものである。
ここにおいて、国連海洋法条約は、「国際環境法条約」、「義務的国際紛争解決条約」、そして「国際協力法条約」として構成されていると解釈できるのである。この条約を批准していない国もあるが、海洋法が実定法として定められ、枠組み条約として発効している以上、これからの海洋に関連する法制は全てこの国連海洋法条約に基づき制定されることとなり、すべての国は否応なく実質的にこの条約に拘束されることになる。
オーシャン・ガバナンス
さて、国連海洋法条約の採択された1980年代は、第3次「国連開発の10年」の年代でもあった。1960年から始まった「国連開発の10年」史は、近代領域主権国家が主体となったグローバルイシューへの取り組みという矛盾の中で、大いなる挫折と失望を積み重ねた歴史であったともいえる。1990年1月、ウイリー・ブラント元西ドイツ首相の呼び掛けで、冷戦終結によってもたらされた地球的協力の新たな機会について検討する会議が、ドイツで開催された。これが発端となって、グローバル・ガバナンス委員会が発足し、グローバルな安全保障と管理を効果的に行う国際システムに関する提言がなされていった。冷戦後、世界で発生したおよそ100回の武力紛争の内、5回を除いて他は国内の紛争であり、その原因は、歴史的な民族あるいは宗教的対立、それに絡む土地、食糧、資源、環境を巡る争いと、その結果としての難民等の人ロ移動である。領域主権国家を主体とした安全保障の概念では解決困難な領域であり、グローバル・ガバナンスの発想は必然的なものであった。
1992年、湾岸戦争での勝利の余韻の中で、第1回安全保障理事会サミットが開催され、その要請に基づき、同年、「平和のための課題“アジェンダ・フォー・ピース”」が答申された。冷戦後の平和のために、予防外交の必要性が提唱され、国連による平和創造、平和維持、平和構築の様々な活動の有効性と、さらには平和執行のイニシアティブ発揮の必要性にまで言及する極めて意欲的なものであった。その後のソマリアやボスニアでの経験から、1995年に追補が出され、平和執行に関するもの等に修正がなされ、国連の関与する平和活動は現実的な範囲にまで縮小されたが、それまで経験と慣例によって実施されていた国連平和維持活動等が改めて籍を与えられたものともいえる。
このアジェンダ・フォー・ピースと並んで、いわゆるグローバル・トリレンマの克服のために発表された環境及び開発のための課題、アジェンダ21及びアジェンダ・フォー・ディベロップメントは、これから人類が取り組むべき平和な生存と、安定的かつ持続的な発展という、新たな安全保障の目標に対する答申であったといえる。