伝統的な海洋利用国と沿岸国との主張の相違が平行線をたどったことから、両論取合わせ、解決は別の取極等に委ねていると思われる箇所もあるが、底辺にある理念は、“人類の共同財産”としての海洋の保全と、海洋を巡る紛争の平和的解決であり、それは、単に条項からだけではなく、国連海洋法条約の審議から採択までの経緯とその時代背景からも理解することができる。
1958年の第1次国連海洋法会議、1960年の第2次国連海洋法会議を経ても、領海幅員や国家管轄権の及ぶ漁業水域については合意をみなかったが、1960年代に入って、12マイルの排他的漁業水域の設定に踏み切る国が出現、その数は33カ国に及び、沿岸国による沿岸海域管轄の要求は最早避けて通ることのできない状況となっていた。マルタのパルドー国連大使の“人類の共同財産”演説は、1967年のことである。無主物の海洋を人類の海洋とし、国際的に管理する構想は、一見、“非現実的”な夢物語のようではあるが、国益のせめぎ合いとなる国家間の現実に対応する場合、“現実”に過ぎるものは平行線をたどるだけでもある。国家間の問題ではなく、国家の枠を超えた国際の問題としたところに優れた先見性があったといえる。事実、1970年代は、資源や人類といった地球的問題が国際社会のテーマとして認識され、グローバルな問題として国家の枠を超えて討議される時代の幕開けでもあった。1972年に国連人間会議が開催され、南北問題が話し合われる。翌、1973年が第3次国連海洋法会議の開幕である。同年、石油ショックが世界を襲い、先進国と産油国の狭間で資源のない発展途上国は“人類の共同財産”構想に傾注する。1974年に世界人口会議が開催され、地球の食糧、資源の限界と持続可能な開発の重要性が認識される。そのような時代を背景として、国連海洋法条約は審議された。
沿岸の資源について排他的権利を得たい沿岸国の主張は満たされた。しかし同時に、沿岸国はその管轄水域における、持続可能な成長のための海洋資源の適性な管理と海洋環境の保全という重大な義務も課せられることとなったのである。海洋資源の枯渇と環境汚染は、1970年代の予測を上回るように進行している。公海における資源・環境保護の条約も早晩必要となるであろう。
海洋利用の基本原則
さて、国連海洋法条約には、次の三つの基本的な柱がある。それは、
○ 持続可能な資源の利用と環境の保護
○ 紛争の平和的解決
○ 国際協力
である。
海洋資源・環境の保護を、全ての海洋利用国に義務づけ、将来に亘って持続可能な海洋の利用を謳ってする。また、海洋を巡る紛争の平和的解決を義務づけており、紛争や条約の不履行は、国際海洋法裁判所等での裁判による解決が基本となる。国際海洋法裁判所は強制管轄権を有し、一方的に訴えることができ、それは国家だけでなく非国家組織にも可能であるとされており、国際司法裁判所と異なった性格を持っている。このことは即ち、海洋を巡る紛争に限らず、例えば沿岸国がその排他的経済水域で資源・環境の保護を怠っていると判断された場合は、条約の不履行として国際海洋法裁判所に訴えられ得ることを意味している。