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1967年の国連総会における、マルタの国連大使、アービト・パルドーの演説である。演説はさらに大陸棚及び深海海底の資源の管轄に及び、「深海への人間の侵入は、人間あるいはこの地球上でわれわれが知っている生命そのものの、終焉の始まりを画するものとなるかもしれない」として、国家管轄権の下におかれる大陸棚の範囲をある限度以内に止め、その外側の海底と資源を国際管轄下におくことを提案した。海洋を“人類の共同財産”とする概念の誕生であった。海洋なくして地球生命の生存は有り得ない。その海洋の自然と資源を、人類共同で管理するという極めて崇高な提案であった。

1970年、第3次国連海洋法会議の開催が決議された。第3次国連海洋法会議の目的は、海洋をいかにして管理し、その豊かな資源をどのようにして活用していくかの法的枠組みを定めることにあった。ワルトハイム国連事務総長(当時)は、「この会議は、国連システムを通じて、新国際経済秩序を創設しようとする偉大な努力の一貫であり・・・開発途上国に対して、海の富を利用する多くの機会を与えることは、より公平で効果的な経済制度を探求する上で大きな支えとなる」と述べ、国際社会の抱える南北問題の克服に海洋の利用を絡ませる考えを示した。これにより、海洋法会議は海に面していない内陸国家も巻き込むグローバルな規模に膨れ上がることとなった。

 

“自由の海”から“管理の海”へ

しかし、崇高な理念に反して、会議は先進国と発展途上国の対立、開発途上国の中の沿岸国と内陸国の対立、軍事戦略上の対立といったナショナリズムの相剋の中で難航した。

それは恰も、「海洋の自由(Freedom of Seas)」を「略奪の自由(Freedom of Seize)」に変えるのかと比喩されるような熾烈さを極めるものであった。13年に亘る審議の後の1982年、排他的経済水域、大陸棚における管轄権等を定めた国連海洋法条約は採択された。多数の発展途上国や沿岸国の思惑によって、沿岸国の管轄下に属する海域や大陸棚の範囲は大きく外洋に広がり、管轄権の及ばない公海部分は約52%となるといわれている。

しかし、国連海洋法条約は、海洋を“人類の共同財産”として管理することを基本として審議され、条約にはその理念が流れている。排他的経済水域等の国家管轄水域において、沿岸国は資源利用に関する排他的権利を有すると同時に、適切な資源の管理と環境保全に関する大きな義務を課せられることになった。“自由な海”を“管理の海”へと、国際海洋法はその基本構造を大きく変化させたのである。

 

(2) 国連海洋法条約と海洋利用の基本原則

 

グローバルイシューとしての海洋

1982年4月に採択された国連海洋法条約は、1994年11月、規定の批准数を得て発効した。

わが国は、採択の翌1983年に署名、1996年に批准している。24年の歳月をかけて採択された国連海洋法条約は、全体で17部320条と9つの付属書からなる膨大なもので、人類史上最大の条約とよばれている。

 

 

 

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