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余談ではあるが、領海の幅員について、かって「着弾距離説」が唱えられたことがある。陸上から大砲の弾が届くところまでが領海であるとする考えであり、これはつまりのところ、「実効支配のつきるところ」の発想でもある。軍艦への大砲の搭載等の海軍力の進歩・発展は、海洋の優先的支配の欲求からの「制海論」を生み出すが、ある意味においてそれは「着弾距離説」の延長線上に位置している考えでもあろう。

 

“海洋国家と沿岸国家”主張の対立

慣習法化された“自由な海洋”も、沿岸国と伝統的な海洋国家との間の、海洋の利権を巡る主張の狭間で辛うじて成り立つていた面があった。シーパワー(海洋力)の効果的な発揮と海洋資源の自由な利用を図る海洋国家に対して、海洋からの恩恵に浴せない沿岸国(発展途上国)の不満は募っていた。1945年のアメリカのトルーマン大統領による「大陸棚に関する宣言」及び「沿岸漁業のための保存水域に関する宣言」の二っの宣言が、沿岸国の主張に勢いをつける。トルーマンによる二つの宣言は、アメリカ合衆国の沿岸に隣接する大陸棚の資源に対する管轄権と、漁業資源保護のための保存水域の設定を含むものであった。トルーマン宣言は、アメリカの連邦政府と州政府との海洋資源開発の権限を巡る駆け引き、対日漁業政策の思惑等を背景としてなされたものともいわれているが、沿岸国による沿岸漁業と大陸棚における資源の管轄権の主張を誘発するものとなった(13)

海洋の利権を巡っての混乱を収拾するためには海洋の利用に関する条約が必要となるとの認識から、国連海洋法会議が開催されることになる。第1次国連海洋法会議は1958年に開催され、いわゆる海洋法に関するジュネーブ4条約を採択するが、領海幅員については合意が得られず、かつ沿岸国の管轄権の及ぶ漁業水域についても具体的な規定を欠くものであった。

解決されず残された問題の審議のため、1960年に第2次国連海洋法会議が開催されたが物別れに終わる。その間も、沿岸国による管轄権拡大の要求は止まるところのない状況であった。

 

“人類の共同財産”概念の誕生

そもそも、海洋の恩恵に浴くせない沿岸国(発展途上国)の思惑は、“援助を求める”ことから“資源を独占しての経済発展”に構造変換を図りたいがためのものであり、また、海洋国家による“自由な海洋”の無秩序な利用には、海洋資源の枯渇と環境破壊の危倶が常につきまとっていた。いずれも国益という殻の中に閉じ籠っているがためのものであり、そこにおいて妥協の余地を見出だすことは困難であった。

そのような事態を打開するものとして、海洋に関する問題を、国家という枠組みに縛られたものではなく、全ての人類に共通の問題、つまりグローバルイシューとして取り扱う考えが生まれた。「暗黒の大洋は生命の子宮であった。この海洋に守られて生命は生まれた。われわれは、現在でも、自らの肉体の中に、っまりその血液の中に、涙の塩辛さの中に、遠い過去の印しを待ちつづけている」。

 

 

 

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