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○取り壊し反対

昭和52年、田町にある足助農協金融部は廃止となり、空き家になった。そこで足助銀座商業協同組合では、建物を取り壊して駐車場に利用する計画を立て、1,250万円で取得した。しかしこの建物は大正時代に完成したもので、カウンター・吹抜け・ギャラリーも備わった典型的な当時の地方銀行社屋で、田町の顔とでも言うべき建物であった。町並みを守る会では田口会長を先頭にして、駐車場利用計画を中止してもらい、さらに保存が出来るよう、銀座商業協同組合と話し合いをもつこととした。町並みを守る会の熱意と、銀座商業共同組合の理解により現状保存の措置が取られた。

○町による伝統的建造物の取得−足助中馬館の開館

町はこれを受けて昭和53年に1,600万円をかけて中央駐車場と足助農協金融部を繋ぐ田町小橋を新設し、次いで土地建物を買収、修復し、57年より足助中馬館として一般公開している。

○民間事業者の取り組み―豊田信用金庫の改築

また昭和54年には豊田信用金庫が改築されることになり、守る会では町並みと調和した建物の新築を強く要望した。豊田信用金庫の英断で、工事費は3割増しとなったが、町並みと調和した伝統的な様式の外観を持つ建築として現在に至っている。

足助中馬館の設置と豊田信用金庫の英断は足助の町並み保存運動に大きな影響を及ぼした。

○地場産業の再現―三州足助屋敷の開館

町並み運動に集中していた小沢庄一の活動は昭和53年ごろから、三州足助屋敷の建設に向けられるようになる。地元の材を使い、かつての工法をよみがえらせて、本格的な木造建築・土蔵建築を行った。職人達は良い仕事を得て、伝統的な仕事をよみがえらせ、弟子達に伝えることが出来た。この伝統的な技術の再発掘はその後の町屋の修理修復の仕事に大いに役立っている。

○体験型施設

単なる見せる施設ではなく、健やかな山の暮らしを見たり体験したりしてもらうという意図が共感を得て、入場料とお土産品の売上げだけで独立採算をとることに成功している。

 

昭和55年〜:自主的な規制へ

○自主規制へ

昭和55年7月に町の教育委員会の主導で足助の町並み保存問題打ち合わせ会が開かれた。ここでは、条例制定をして重伝建地区の選定を受けるという当初の目的を一歩後退させ、住民の自主的規制により、町並み保存をしていくという方向が定まった。

○「足助まちづくりの会」へ

「街なみ環境整備事業」の助成を受けるための組織「足助まちづくりの会」は、商工会、観光協会等の団体が主な会員となっており、平成9年に「町並みを守る会」もその一部会として組み込まれた。

 

3) 波及効果

○足助川を守る会

この「足助の町並みを守る会」の活動は「足助の川を守る会」の結成にも影響を及ぼした。この会は昭和61年に町内各種団体の有志によって「足助川を守る会」としてスタートしたものである。5月にはこの運動を町内全域の河川を対象にすべく区長総会で決議され、名称も「足助の川の守る会」と改称された。

 

 

 

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