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○大正時代

大正末期になると、観光のはしりとでもいうべき動きが出始め、具体的な事業が着々と行われた。大正12年に町当局は巴川両岸に河岸遊歩道を整備し、藤棚・休憩地等を設け、青年団・在郷軍人会等が協力して両岸に楓・桜の成木の大増植を行った。それ以後も、隣組を動員して楓の成木の寄付を呼びかけ、その補植を行っている。

○昭和時代

昭和5年にそれまで香積寺のもみじと呼ばれていたこの地帯に、春嵐渓の名称が付けられた。春嵐渓の整備が進むとともに、ここを訪れる観光客の数も年々増加の一途を辿った。

 

2) まちづくりの経緯

 

表 足助のまちづくりの鍵

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昭和46年〜:過疎化対策としての町並み保保存

○過疎地域指定による危機感

昭和46年に足助は過疎地緊急措置法に基づいて過疎地域に指定され、民間所有の山林が売りに出されるなど、町民の間にはある種の焦燥感が漂い始めた。

○小沢庄一氏の登場

昭和46年6月1日付けで町役場産業観光課の商工観光係長となった小沢庄一は妻籠宿を訪ねた。後に彼は町並み運動の火付け役となり、最初の推進役となる人である。

○過疎化を止めるための町並み保存

彼が妻籠宿で目にしたのは、廃屋の町になりかけていた妻籠の町並みを再生し、単に再生されただけではなく、立派な観光資源として役立ち、多くの観光客を集めていることであった。彼は足助の町並みを保存して、観光客を町中に導入し、町の活性化を図ることが可能なのではないか、町並みは過疎の歯止めになるのではないかと考えるようになった。

 

 

 

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