歩いているうちに六階建ての百貨商場がみえたので入ってみた。日本のように地下はなく一階からである。食料品や菓子などの売り場から、衣料品、電気製品、文房具、雑誌、時計、家具などが各階にわかれて陳列されていた。
私が店に入ったのが午後九時に近かったので、閉店準備中でエスカレーターはすでに止まっていた。大急ぎで見てまわった。まだかなりの人出があって店内はざわついていた。
百貨商場を出て歩いていると何軒かの食堂が目についた。少しのどが渇いてきたのでそのうちの一軒に入った。階段を上って二階の席に案内された。まるいテーブルが六つほどあって、二組の家族連れが食事をしていた。
中国語で書いたメニューを持ってきたがよくわからない。漢字で見当をつけてとりあえず餃子と野菜の妙めた料理と生ビールを中ジョッキで注文した。
店の一隅にはカラオケが置いてあり若い女性が一人歌っていた。ビールを間もなく持ってきたので飲みはじめた。しかし注文した料理はなかなか出てこなかった。
二階にいる従業員は二十五歳くらいの青年と二十代と三十代と思われる女性二人との三人だった。青年は日本語を片言程度と英語を少し話していた。二人の女性は中国語だけで日本語は話せなかった。
最初に注文した料理も食べ終わり、次いでえびとかにの料理を注文した。ビールも二杯目になり少しいい気持ちになったころには、近くのテーブルにいた家族連れの二組も帰っていった。手持ち無沙汰になった従業員の中の三十歳くらいの女性一人がメモとボールペンを持ってきて筆談しようということになった。私が中国語ができず、女性も日本語ができないのでこういう成り行きになった。
中国航路に就航しはじめてかなりになる。しかし正式に中国語を勉強したこともなく、何となくすごしてきたので読み書きはできない。女性従業員が好意的な柔らかい態度で接してくれるので私も応じることにした。「あなたはどんな仕事でこちらに来ているんですか」「私は上海十四区の宝山製鉄製品岸壁に鋼材を運んできた船の船員です」「どこから来ましたか」「日本の神戸からです」「ここには何日ほどいるんですか」「明日夕方出港して中国の営口(インコウ)に行きます」「営口はどの地方にありますか」「中国の東北で大連よりまだ北にあって渤海に面しています」
「海員は大変つらい苦労があるのでしょう」「いろいろ苦労はありますが、これは私たちの仕事ですから」
「日本の著名な歌手で山口百恵がいますね」「以前は歌手でしたが、今は家庭の主婦になっています」「こちらではたくさんの人が知っています。私もそのうちの一人です」などと筆談は続いた。
そのうち私のジョッキも三杯目となり、先ほどから見えなくなっていた青年も戻ってきて加わり、テーブルの周りも次第ににぎやかになった。
今日夕方入港したものの、また明日は出港して営口ヘ向うという忙しい移動を続けている私にとって、長江の流域の町にあるレストランの一隅で、心の和むひとときを送ることができたのは幸いであった。