人口の推移は表3の如くであり、表4はそのうち平成7年における各町村の世帯数(戸数・人数)および高齢化率についてまとめたものである。これによれば人口流出のもっとも激しかったのが昭和30年代の後半から昭和40年代の前半にかけてであり、高度成長期初期におけるもっとも典型的な傾向を示していることが分かる。ただその後は鈍化し、8町村については時期、平成9年にはわずかながら増加している。それでも平成10年(1998)で72,337人、これをピーク時(昭和30年、1955)の111,664人に比すれば35.2%もの減で、これは県全体の2倍に当る。とくに飯石郡の4町(三刀屋町を除く掛合町・吉田村・頓原町・赤来町)がその地理的条件を反映して、過疎化の度合いが大きい。
買い物に関わる人口動態を調査したデータによれば、圏域内では三刀屋町へその周辺町村からの集中が顕著であるのに対して、圏域外では出雲市と松江市、とくに出雲市との関係が深い。雲南地域のうち非過疎地が三刀屋町・加茂町・大東町の3町であるのも、出雲市や松江市といった都市に近いという地理的条件に負うところが大きい。その点では、あとにふれる広域市町村圏として10町村が松江地区と出雲地区とに分属された意味はあったといえよう。