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2-1-2-2 長屋の類型

長屋の各戸は前面の街路に沿って建てられ、そこから出入りするのが普通である。しかし、表通りから入った裏の空き地などに住戸が並べられ、その出入りのために表通りから入る私設の道がつくられる場合がある。こうしたものを含めて、表通りに面していない長屋を裏長屋」という。裏長屋に対して表の通りに接して並ぶものを「表長屋」という。表長屋は店を持つものが多いが、裏長屋はただ住居だけのものであった。長屋の中で最低クラスのものは「棟割長屋」である。これは棟の方向にそって背割りをした長屋のことで、左右後ろ三方の壁を隣と共有している。彦根では、裏長屋や棟割長屋の姿がほとんどみられない。表長屋が主流である。これは、城下町彦根の土地区画に奥行きがないことが理由であると考えられる。

2-1-2-3 長屋の起源

長屋の最初は、棟を別にして建てられたいくつかの小屋をひとつの棟に集めたものといわれている。諸国の武士が京都にのぼって、大番・長番をつとめた鎌倉・室町時代から、大名の家来たちのすまいとしてつくられたものが、長屋のはじまりといわれている。江戸時代に入って、諸国の大名が参勤交代で江戸に仮住まいの屋敷を持つようになってからは、その家臣たちのすむ長屋が武家屋敷の付属部分としてつくられるようになった。ひとつにしたのは建築構造上の経済と、屋敷構えの外郭防備の塀を兼用した便宜もあるが、家来や下僕たちをとりまとめて住まわせておくことが平常の連絡、いざという時の呼び集め、つまり監督と統制に好都合であったからである。武家だけでなく、農家、商家でも江戸時代から長屋が普及する。城下町や商業都市が次々に発展してくるにつれて、有力な町人は屋敷に長屋を設けて、ひとり立ちできない人々をその庇護のもとで住まわせた。やがて、必ずしも自分の子方というわけではないただの借家人を入れる長屋もでてくる。

 

2-2 町家と長屋の残存状況

2-2-1 町家と長屋の比率

1999年9月から約1ヶ月にわたり、彦根の城下町のすべての道を歩いて、伝統的な民家を抽出し、その写真と一戸づつのデータをカルテにまとめた。この調査対象となった家(武家屋敷の門だけが残っている長屋門や、文化財になっている埋木舎などを含む)は全部で984件で、そのうち町家が518件(53%)、長屋が132件(13%)であった。

2-2-2 町家と長屋の形

前節で述べたように、町家と長屋は道に面して建てられているため、その表構えから町家(長屋)の形を分類することができる。分類するときに第一の着眼点となるのは軒高である。主に、2階の軒高が低く窓の高さがあまりないものを低二階町家、2階の軒高が高く窓の高さが十分にとってあるものを高二階町家とし、2階のないものを平屋、そして3階建と4つに分けることができる。

 

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図2-1 町家の形

 

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図2-2 長屋の形

 

 

 

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