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図0-1 城下町割り図

 

町人の町はまず、職人町と商人町に分けられ、士農工商の封建制では上の身分である職人町の方が天守に近いはずであるが、『彦根藩大洞弁財天祠堂金寄進帳』によると、表通りである主要街道の両側には商人の住居があり、その背後や町はずれに職人の住居や魚屋の住居があったとされる。これは封建制身分の原理に対して、経済の原理が優先していたことを示し、封建主義の理念として明確な身分制があったとしてもほとんど現実性は持っていなかったということを示している。ただ、騒音、臭気の迷惑が考えられる仏壇製造業者の居住区などはほかとは区別されていた。

元禄8年(1695)の『彦根藩大洞弁財天祠堂金寄進帳』(「井伊家文書」)によれば、町家総数は2,954戸で、職業別の内訳をみると大工126戸をはじめ、米屋110戸、煙草屋95戸、古金屋80戸、魚屋76戸、油屋59戸、塩屋56戸、鍛冶屋54戸、紺屋53戸、桶屋46戸、小間物屋43戸、菓子屋36戸、酒屋34戸、紙屋33戸・豆腐屋29戸、木綿屋・茶屋各27戸、綛屋・炭屋・古道具屋・屋根屋各25戸、畳屋・糀屋各23戸、味噌屋22戸など100種余りに職種が分化していた。

 

 

 

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