その看護婦はいばっているのではなくて、だれにも同じように言葉をかけることが大事だと思ってしたのでしょうが、それと同じ価値観を持っていない人にとっては、「おじいちゃんと呼んでもいいのは私の孫だけです」ということになる。これも人間をワクにはめてしまう、患者というワクにはめてしまうということから起きたことではないでしょうか。たとえばその方の会社に自分の一族が勤務していれば、そこの会長をおじいちゃん呼ばわりはしなかったかもしれません。これは職業に貴賤があるなどということではなくて、1人1人を人間として敬意を払ってみるということにもつながるのだと思います。
おじいちゃん、おばあちゃんという言葉の遣い方、これは私はたいへん嫌いな言葉です。その方がだれかという個性をなくしてしまいます。年をとってくると、自分とはだれだろうとクエスチョンマークがつくことがあります。最初に申しましたが、不安の源のひとつに「自己の存在の妥当性」とか、「自己評価が脅かされたとき」というのがあります。自分自身について自信がなくなっている方に対しては、きちんと名前で呼びかけるということの意味はとても大切です。
これに対して、名前を呼ばれると、親しみがない感じがする、平等に扱うのだと反論する方がいます。私はそれは平等に扱っていることだとは思いません。
アメリカでも同様で、病人だというレッテルを貼られると、とたんに赤ちゃん扱いされる。子供の言葉で話しかけられることがある。社会の中で接触しているときには絶対に使わないような言葉遣いで相手に接する。