それが先ほど言いました患者の退行といいますか、子供返りを強くするということになりかねないからです。
私が脚を折って入院したときに観察したことなのですが、清拭のとき、「ご自分でできますか?」と言うときと、「自分でできますね」と言うときがある。「できますか?」と聞かれると、自分で返事ができる。「できますね」と言われると、押しつけられたように感じる。では、どちらがいいのかというと、それも気分次第で、「できますね」と言われると、自分が回復してきたと認められるのだと思ったりする。やはり、その方の反応を見るというか、その時、その場に合わせた反応ができるということが大事だということです。
これを直すにはどうしたらいいか。これは自分の中の偏見に気づくということがひとつだと思います。それぞれを個人として見ることは、その方の生活歴を知るということ。それと同時に自分の中の生活のワクを広げていくということ。そのようにも言い換えることができるのではないでしょうか。相手の身になってみる、自分が体験しなければ相手の身になれないというのはある意味では悲しいことですが、体験をするという体験学習を通じてより理解を深めるということができるとすれば、自分の中の偏見に気づくためにはそういった学習方法が必要なのかもしれません。
ひとつのものが多様な意味を持つ
シンボルの使い方、理解のされ方は人によって違うということにも気づかなければなりません。