しかし、それをかわいそうと解釈する年代も育っているということです。
「うそーッ」というのは本当ということですよ(笑い)。それから「ホント?」というのがうそとか。そのへんのこともどんどん違っていく。そういうことにどのくらいキャッチアップできるかということです。
あるお年よりが入院されたのですが、何を聞いても全然反応しない。もしかすると痴呆が進んでいるのではないかと周囲が思ったまま1週間くらいたってしまったことがありました。ところが、気がついたら出身が岩手なのです。そこでたまたま岩手出身の看護婦さんがいたので、くにの言葉で話しかけた。そうしたら患者の話が2時間は止まりませんでした。言葉が話せなかったのではなくて、異国に迷い込んだように、自分の置かれた状況もわからないし、何を言われてもどのように反応していいかわからないから黙り込んでしまったということだったのです。それに気がつかなかったら、この方は寡黙症であるとか、反応が全然ないとか、老人性の何とかだとかというレッテルを貼られてしまう危険があったかもしれません。
相手の身になる、勝手に思い込む
では、それを直すのにはどうしたらいいか。やはり共感を持つということ、相手の身になって感じるということです。これは相手がわかるということとは違います。あの人はこういう人だとレッテルを貼るのではなく、その人の身になって、多分そうだったらそうじゃないかという、相手の中に自分を投影するといえばよいでしょうか、少なくとも相手の見地から見ようとする努力が必要だということです。