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第5回国際保健協力フィールドワークフェローシップに参加して

 

福地 貴彦(自治医科大学5年)

戦後50年を過ぎた今も、日本では戦後補償やら戦争責任やら従軍慰安婦やらの議論が迷走の極みである。日本帝国は確かに帝国主義政策をとり、近隣のアジア諸国を占領し、植民地とした。帝国主義が流行ではなくなってきたころであったのが不幸なところだったが、とった政策を信じ続け、そして連合軍に敗北した。わずか数十年の期間ではあったが、日本人の将来を考慮する上でとても重要である。その日本軍の戦略及び占領政策、そして軍敗走の中で大きな傷をつけた、と言うべきフィリピンを訪れることが出来た。それも国際保健協力と銘打ったフィールドワークでである。

「日本人が世界のために何が出来るか。」

これが私の心の中のテーマである。なかなか大仰であるが、日本自身が戦後の米軍のバックアップによって復興したわけであるから、他国と一緒に発展しようという発想自体は誤りではあるまい。医師として、あるいは人間としてどんなことが出来るか……。

そんなことを考えていた私が国際保健のことを考慮しなかったわけはないが、私の母校・自治医大の特殊性のためか、強い関心を示すまでは至ってなかった。卒後は臨床医学の道に進むことが求められているため、保健の分野にのみ挺身することは可能性が低いからだ。よって、私の希望として出てくるのはMSF(国境なき医師団)のような国際的医療活動であった。しかし、今度WHO西太平洋地区事務局長に選出された尾身先生のお話を伺う機会があり、そこで強く気づかされたことは、効率を無視してはどんな活動も無駄になるということだ。公衆衛生学の奨めであるが、一人で出来る臨床活動は限界があるということでもある。というように、保健活動への興味を併せ持つようになったものの、国際保健においてなんの知識の蓄積もない。だからせめて、見慣れてない目であってもきちんと物事を見据えて、何が出来るかを自分で考えることを意識して研修に参加した。もちろん、効率という概念を新たに導入して。

WHOやJICA事務所、JICAの現地プロジェクト等、実際に現場とそこで働く日本人を見て得た実感は、日本、そして日本人は今確実に必要とされているということだ。大戦の傷跡も存在したが、意識しないと気づかない程度であり、逆に皆、大変な好感をもって迎えられ、そしてさらに今以上の役割を求められている。

今回のフェローシップで得た多くの友人たちは、皆多種多様なモチベーションをもっていた。しかし、効率を考えるうえでマンパワーは重要な要素である。より国際保健に関心を持つ医師予備軍を増やすために今後活動することが必要であろう。

ここで、あるNGO活動をされていた一人のフィリピン人の言葉を紹介してまとめとしたい。

「日本人は昔は武器をもってやってきました。でも今はgood willをもって来てくれます。」

 

 

 

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