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2) 自然と生業

 

(1) 狭山丘陵の生業

1]概観

大正時代より昭和40年代にいたる狭山丘陵およびその周辺地域では、農業を基本としてこれに農用林であるヤマ(雑木林のこと)の管理や養蚕、製茶等を組み入れた体系が一般的な生業の姿であった。

ヤマは薪等の燃料や堆肥の原料となるクズ(落ち葉)を採取する大事な土地であり、その中心的なシステムとして定期的な伐採によって新しい芽を育てる萌芽更新が永く行われてきた。したがって、ヤマの所有の有無や所有面積は当時の人びとの生業や暮らしにとってたいへん重要な意味をもっていたわけである。

狭山丘陵周辺は厚いローム層に覆われた台地であるため、農業は畑作を主体にし、水田稲作は丘陵の谷戸やその周辺の低湿地で行われてきた。栽培作物は穀物(大麦、小麦、陸稲、水稲等)や芋類(さつま芋、里芋等)、豆類(大豆、小豆等)から茶、養蚕のための桑にいたるまで実に多様であった。

2]生業と自然環境

ヤマの管理を含めた農業が地域の自然環境を基盤に成り立っていることは誰もが認めるところであるが、具体的に地形や地質、気象、植生、生物にかかわる知識あるいは技術の実態を把握するとなると容易なことではない。ただし、一般的な傾向としてヤマの管理においては、とくに植生や生物に関する認識が重要であり、畑作や水田稲作でも土壌や水環境への関心がないと本来の生業の営みがおぼつかないことは確かである。過去において、適確な認識に基づいた技術の習得が継承されてきた背景には、土地の管理と生産性をめぐる課題が常に意識されていたものと考えられる。

 

(2) ヤマの管理

1]ヤマの概念

狭山丘陵およびその周辺地域では、一般に雑木林をヤマという言葉で呼びならわしてきた。今回の聞きとり調査では、このヤマそのものに実にさまざまな概念が組み込まれていたことが明らかになっている(資料編の表III-資-9参照)。

それによると「ヤマ」という言葉が単に樹林地を意味するだけでなく、地理的な広がりや植生の状況、さらには農用林(薪炭林を含め)としての生産性にまで及んでいることがよく理解できる。しかも目的によってそれぞれが明確に使い分けられている事実は、里山の暮らしにおいて人びとの自然とのかかわりあいがこれまで考えられてきた以上に具体的な状況認識のうえに成り立っていることを示すものとして注目される。

このようなヤマの概念は、一方で土地を識別するための手段として機能しながら、他方では生業にかかわる共通認識や技術を伝達するための間接的な機能を保有していたものと考えられるのである。

 

 

 

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