社会保障基金の現金給付を、生産点での自発的協力を基礎にして、正当な事由にもとづいて喪失した賃金の代替と考えれば、その負担は賃金に対して比例税率で課税される労働所得税ということになる。
もっとも、農民や自営業者の場合には、現金給付が事業所得の喪失を保障することになるため、その負担は事業所得に対して比例税率で課税される事業所得税が正当化される。したがって、社会保障負担は給与所得と事業所得に、比例税率で課税される分類所得税ということになる。当然のこととはいえ、社会保障基金の現金給付は、資産所得の喪失は保障しない。そのため社会保障負担は資産所得を包括した総合所得税ではなく、資産所得を除外した分類所得税となる。
こうした社会保障基金という政府に貢納される分類所得税を、「保険拠出」と呼ぼうと、「税」と呼ぼうと、用語の問題ということができる。租税とは無償性と強制性を備えていなければならない。社会保障負担は強制性を備えているが、社会保障基金の現金給付に対する対価だと考えれば無償性が欠如し、租税ではないことになる。
もっとも、租税についても「保険説」がある。つまり、租税とは生命や財産を保護する公共サービスという保険に対する保険料だという主張もある。そうだとすれば、「税」と「保険料」の区別は曖昧になる。「税」と呼ぼうと、「保険料」と呼ぼうと、社会保障負担は社会保障基金という「政府」に貢納され、国税は中央政府に、地方税は地方政府に貢納されることになる。
年金の社会保障負担を、消費税という「税」方式に改めるという主張は、この消費税が社会保障基金に貢納されるのか、中央政府に貢納されるのか明らかではない。この消費税が社会保障基金に納められるのであれば、労働所得を消費型付加価値税に改めようという主張になる。それは事業主負担を廃止すること、つまり企業の社会保障負担からの解放を意味するにすぎない。この消費税が中央政府に納められ、中央政府から社会保障基金への財政移転として使用されるのであれば、社会保障基金の自主性は失われる。
「税」方式という意味が、徴収効率の良い国税庁に委ねることを狙っているとすれば、これも社会保障基金の自立性を弱めることになる。社会保障基金が「政府」としての独立性を備えるためには、社会保障負担も国税庁とは区別された徴収機関が徴収すべきである。国税庁のほうが、社会保障負担の生産点での自発的協力に基礎づけられていないからである。
フランスでは国税庁よりも、社会保障負担徴収機関のほうが徴収効率が圧倒的に良い。生産点での「連帯」の負担である社会保障負担のほうが、租税よりも負担回避した時の社会的サンクションは強いはずである。
社会保障負担が給与所得と事業所得に対する分類所得税だとしても、それを事業主負担とするか被用者負担とするかは、企業が納入する社会保障負担の色分けという相違しかないようにもみえる。