こうした恩恵としての企業内福祉は、第二次大戦という総力戦の過程で社会保険に吸収されていく。もっとも、企業内福祉は大企業に限定されていた。しかし、1938年(昭和13年)に日中戦争の過程で創設される国民健康保険にしても、兵士の源泉である農民を対象とする医療保険として始まる。つまり、それも生産点における自発的協力を基盤にしているわけではなく、上から要請して生まれる。しかも、農民を対象とする医療保険に、敢えて「国民」の冠を授け、中央政府と結びつく社会保険を地方政府と結びつける「自治体経営の組合方式」が導入されていく。繰り返すまでもなく、地方政府が独立性を保ちながらも、中央政府と結びつくように、社会保障基金も独立性を保ちながら、中央政府と結びつくべきで、地方政府と結びつくべきではない。
社会保障基金が生産点における自発的協力を吸収した「政府」という認識に立脚すれば、改革の方向は明確になる。社会保険を正当事由にもとづく賃金喪失と、生産点における自治にもとづく強制的協力によって代替するという方向に強化させればよいことになる。
そうだとすれば年金は、老齢という正当事由にもとづいて喪失した賃金を、生産点における強制的協力によって代替する現金給付となる。したがって、「政府」としての社会保障基金が給付する年金は、所得比例年金でよいことになる。もちろん、生産点における自発的協力を基礎にした年金は、個人の貯蓄の見返りではありえない。そのため当然のことながら、積立方式ではなく賦課方式が採用されることになる。21
現在では年金について、基礎年金部分について消費税を財源とした「税」方式に移行して、報酬比例部分を民営化するという議論が支配的な潮流を形成しつつある。しかし、「税」方式という用語自体に混乱がある。「税」方式とは中央政府に納める国税と、地方政府に納める地方税を意味する。これに対して社会保障負担とは、「政府」としての社会保障基金に納める拠出金をいう。フランスで社会保障税といえば、中央政府に納める国税であり、社会保障基金という「政府」に納めるわけではない。ただ中央政府が社会保障基金という「政府」への移転財源に充当されるだけである。「税」方式への転換が、社会保障負担に「政府」としての独自性を与えるところが、社会保障基金の存在そのものを否定することになる。そうなれば社会保障基金は、上からの恩恵という性格が払拭できず、いつまでも生産点における「協力の政府」という性格を備えることができない。
医療保障も社会保険としての給付は、疾病という正当事由にもとづく生産点における賃金代替ということになる。つまり、社会保障基金としては、疾病による休業で喪失した賃金を保障すればよいことになる。
もちろん、医療というサービスそのものは、地方政府が地方税を財源として供給する。
21賦課方式にもとづく所得比例年金の導入についての具体的提案は、金子・神野編[1998]を参照されたい。