共済活動は賃金を喪失した場合に、生産点における共同体的紐帯にもとづいて賃金を相互に保障し合う自発的協力といえる。そうした自発的協力を吸収した社会保険は、原点に立ち返り、老齢、疾病、失業という正当な事由で賃金を喪失した場合の賃金代替という性格を明確化することから出発する必要がある。
しかも、重要なことは、自発的協力に基礎づけられた政府には、「自治」が保障されなければならないということである。生活点における地方政府も、生活点における自発的協力を担う人々の「自治」にもとづいて統制力が付与される。生産点における社会保障基金の「政府」も同様に、生産点における自発的協力を担う人々の「自治」にもとづいて統制力が付与されるはずである。つまり、生産点における自発的協力への参加者である被雇用者、雇用者による社会保険にかかわる自治が保障されるべきだと考える。
こうした生産点における「自治」の確立は、新たな公共空間の設計を意味する。地方分権による生活点における「自治」とともに、生産点における「自治」をも確立し、社会システムで営まれる人間の生活を社会的共同事業として保障する「三つの福祉政府体系」を構想することでもある。
ところが、日本では生産「点」に形成された自発的協力を政治システムが強制的協力に転換させたわけではない。そのため自発的協力を吸収した生産点における政治システムとしては、社会保障基金が認識されず、社会保障基金を自己統治しようとする意識が生まれない。日本の社会保険は、生産「点」における自発的協力としてではなく、企業間福祉という契約的人間関係を基盤にして誕生している。
企業間福祉は「大正期に入って重工業や労働運動の活発化」による「企業における家族的温情関係に対する危機」への対応として生まれている。19企業が従業員の生活を保障するのに、「賃金よりは福利厚生の方が生活保障的効果をあげるのに、より割安な手段だという認識が強かった」20からである。つまり、生活保障の賃金代替が、生産点における共同体的紐帯の形成としてではなく、雇用契約という契約関係に起因する賃金代替として、むしろ賃金節約が事業主の「恩恵」と語られることによって開始されてしまう。
このように日本の社会保険が契約関係の一環として始まることが、日本の社会保険の給付水準を低く抑制したというだけでなく、社会保険に労働のインセンティブと両立を図るという性格を刻印してしまう。つまり、正当事由にもとづく賃金喪失の代替としてではなく、賃金喪失を生じさせないように勤労意欲を高めるための手段としての性格が強められてしまう。そのため1980年代に市場経済がグローバル化すれば、簡単に抑制され、企業の国際競争力強化という名のもとに犠牲にされてしまう。
19日本経営者団体連盟[1965], 17ページ参照。
20同上, 19ページ参照。