17しかも、1985年頃からは総務庁の行政監察と会計検査院の会計監査が、こうした不正受給是正キャンペーンに冷酷な追い討ちをかけていく。第二に、社会保険という現金給付が抑制されていく。医療に関していえば、第二次臨時行政調査会が「老人保健法案の早期成立を図り、組合健康保険、国民健康保険等、保険者間の負担の公平化、患者部負担の導入等を内容とする老人保険制度を早急に実施する」と打ち出していた。老人医療無料化制度の廃止が、1983年(昭和58年)の老人保健法の施行によって実現する。
年金についても1980年代には、第二次臨時行政調査会の方針にもとづいて、保険料引き上げ、給付水準の引き下げ、年金開始年齢の引き上げという方向が目指されていく。さらに1985年(昭和60年)の改革では、年金を1階部分と2階部分に分け、1階部分について分立している制度を一元化して「基礎年金」を導入した。玉井金五教授が明らかにしているように、この一元化の背景には、農業者や自営業者などが加入する国民年金の財政が破綻するという問題が存在している。18つまり、「基礎年金」の導入による一元化とは、良好な状態にあった厚生年金の財政が窮地にあった国民年金の財政を支援する「財政調整」の仕組みが形成されることをも意味していた。
「基礎年金」の導入によって国民年金の財政危機を回避するとともに、この1985年の改革では、部分的にであれ、給付水準の抑制が実施されている。しかも、この改革では年金の支給開始年限を引き上げる改定もおこなったのである。
このように1980年代を契機に、現金給付の抑制が進んでいく。現在でもこうした抑制的改革が推進されていようとしている。年金改革をみても、年金保険料の引き上げと給付水準の引き下げが唯一の選択肢として提示されている。基礎年金部分を「税」方式に切り替え、所得比例部分を民営化するとの提唱も、こうした抑制的改革のヴァージョンと考えてよい。
生産点における「協力の政府」の確立
しかし、社会全体の仕組みが構造的に転換する「システム改革」の時代に、既存の制度的枠組みを前提にした抑制的改革は、枠組みそのものの変化に従い、次々に抑制的改革を呼び起こしていく結果となる。そのため制度的枠組みの改革ヴィジョンと結びつけた改革プランを提示しなければ意味がない。それには社会保障基金を明確に「政府」として位置づけ、社会保険という現金給付を捉え直す必要がある。
既にみてきたように、社会保険を司る社会保障基金という「政府」は、生産点において展開されていた労働組合や友愛組合の共済活動という自発的協力に法的強制力を付与することによって誕生する。つまり、地方政府が生活点における自発的協力の限界を、強制的協力で克服しようとした政府なのに対し、社会保障基金は生産点における自発的協力の限界を強制的協力で克服しようとした政府ということができる。
17大沢[1993], 214ページ参照。
18玉井[1997], 99-100ページ参照。