日本で地方分権の推進を打ち出したのは、1980年に設けられた第二次臨時行政調査会である。しかし、それは中央政府の財政再建のために打ち出された地方分権にすぎない。ところが、1990年に設けられた第三次行政改革審議会が、「豊かな暮らしづくり」のための地方分権を打ち出す。
このように1990年代になって「豊かな暮らしづくり」のために地方分権を推進しようとする動きが出てくる背景には、1989年にゴールド・プランが策定されたことがある。つまり、1989年に2000年までに準備すべきホームヘルプやデイサービス、ショートステイ、特別養護老人ホーム、在宅看護ホーム、在宅看護支援センターなどのサービス目標を示した高齢者保護福祉10ヵ年戦略が策定される。
このゴールド・プランは日本でも現金給付による社会保障からサービス給付による社会福祉へと大きく転換し始めた象徴ということができる。さらに、1994年には「子育て支援策の基本的方向」、つまりエンゼル・プランが打ち出される。このように老人の養老にしろ、幼児の育児にしろ、家族機能や地域共同体機能が縮小している代替として現物給付を供給する必要が生ずれば、地方政府が地域ニーズに対応して供給せざるをえないのである。
「現代システム」における中央政府と地方政府の機能分担論は、財政連邦主義(fiscal federalism)にみられるように、地方政府の機能を狭く限定してきた。15具体的にいえば地方政府の機能を、警察や消防などの割り当て不可能な地方公共財の供給に絞られていた。これに対して中央政府の機能は、防衛、外交などの国家公共財の供給に加え、所得再分配機能と景気安定化機能を担うと考えられてきた。それは中央政府がボーダー(国境)を管理する政府となっていたからである。
しかし、中央政府がボーダーを管理する権限を1980年代以降喪失していくと、前述のように地方政府の機能が割り当て可能な準私的財の供給を包摂しながら拡大していかざるをえなくなる。しかし、それは地方政府が生活「点」における自発的協力の限界を克服するために、生活「点」における自発的協力を吸収して成立した政府として本来の姿に位置づけられていくことを意味する。
教育、医療、社会福祉という準私的財の供給は、家族やコミュニティという生活「点」における社会システムの相互扶助や共同作業によって担われていた。それ故に、割り当て可能な準私的財なのである。したがって、こうした準私的財を供給する地方政府とは、生活「点」における社会システムの自発的協力を吸収した政府ということができる。
15連邦財政主義については、Oats[1972]を参照されたい。