もっとも、「近代システム」でも経済システムの「結果」に対して、政治システムが全く反応しなかったというわけではない。経済システムの悪しき結果である貧困に対しては、16世紀後半にまで遡ることのできるエリザベス救貧法(Elizabeth Poor Law)の伝統が息づいていたからである。12こうした救貧対策は地方政府の役割分担となっていたけれども、それは社会システムとしてのボランタリー・セクターと分かち難く結びついていたのである。
というよりも、地方政府はヨーロッパであれば教会というボランタリー・セクターを基盤にして形成される。つまり、地方政府は教会をシンボルとするような生活点の自発的協力を吸収した政府なのである。
しかし、ここで注意しておきたい点は、経済システムでは財・サービスの生産・分配・消費が実行されるといわれるけれども、経済システムにおける「消費」とは「家計」としての家族が財・サービスを生産物市場から購入することを意味するにすぎないという点である。消費を人間が生命を再生産するために、財・サービスを使い尽し、欲求を充足することと理解する時、経済システムにおける「消費」とは、こうした人間の生命を再生産するための消費を意味しない。つまり、人間が生命を再生産するための消費は、社会システムにおいて実行されることになる。しかも、市場から購入する消費財は、家族という社会システムの内部で加工した上で、身に纏い、口にすることを可能にする必要がある。そのため社会システムでも生産機能を担わざるをえない。その上、子どもの養育、教育、それに老人の養老、さらには家族構成員の疾病に対する看護などの労働が実施されなければならない。「近代システム」の家族では、こうした生産機能を担っていたのである。
生産財という資産を所有している農民や自営業者を中心とした地域社会であれば、家族が生産機能を備えているというだけでなく、家族の生産機能のために共同作業や資産相応的互酬が実践される。例えば、農道や水路あるいは街区の建設や維持管理が共同作業で実行されていく。もちろん、生産機能だけでなく生活機能でも、家族間の共同体的相互扶助という自発的協力が実践され、地域共同体的秩序が維持されていた。このように生活点の自発的協力が活性化していたことを前提に、地方政府の機能も警察・消防などを中心とした地方公共財の供給に限定されていたのである。
生産点における自発的協力と社会保障基金
「近代システム」では経済システムが分配する所得が少なく市場で購入できる財・サービスがたとえわずかだとしても、家族やコミュニティの無償労働によって必要な財・サービスが生産され、生活が保障されると想定されていた。しかし、市場経済が拡大すると、家族やコミュニティの機能を縮小させ、共同作業や相互扶助という無償労働による自発的協力は衰退する。
12イギリスの救貧法については、小山[1962]を参照されたい。