4.4. 何故バーサ号は転覆したか;
以上、当時の状況、法廷証言、現代の造船技術によるチェック等を通じ、文献3)に述べられていることを補足しながら「何故バーサ号は転覆したか」を纏めてみよう。各項目の後に[ ]内に述べたことは現代にも通用する教訓である。
1)度重なる仕様変更と設計思想貫徹の欠如;
バーサ号はキール長108ftの"Smaller"Shipとして起工され、建造中に度重なる仕様の変更があり、設計思想を貫徹することが出来ず、場当たりの継ぎ接ぎの対処しかされないままに、キール長135ftの"Larger"Shipとして完成した。
a)船の大きさに関する国王の干渉。しかも、具体的な数値の押し付け。
当時の慣例としては例外ではなかった。英国でも1617年完成のRoyal Sovereignの建造決定会議で突然国王が一回り大きい船を命じ、大混乱をおこしたが、着工前であったので、計画を変更して事無きを得た。
b)兵装計画が建造中、数回変更になった。最初の計画は24 1bs砲60門といった艦が搭載不可能な重量であり、且つ、1層の砲甲板では格納し切れないものであった。数次にに亘る変更も、浮力、復原性、帆走性能等考慮しない重武装一辺倒のものであった。しかも、砲メーカーの実情を無視した要求で、完成時には24 1bs砲48門しか出来ておらず、しかも、重量は非常に重いものであった。これにも、国王の干渉が感じられる。
c)造船家Henrik Hybertssonの病気、病死;Henrikは抵抗したが、王命には抗し切れず建造中の船に次々にこれ等を盛り込まなければならなかった。艤装で最も指導力を発しなければならない完成1年前に病死した。後継者は到底指導力を発揮できなかった。
[素人の権力者は意見はいってもよいが、具体的な技術に介入してはいけない。設計の思想は貫徹しなければよい船にはならない。そのためには、着工前に十分検討をし、着工後重大な仕様を変更しないようにする。万一重要な仕様変更があった場合姑息な継ぎ接ぎではなく、船全体を抜本的に見直す必要がある。]
2)船体構造の欠陥;
復原性を知る具体的な手段もなく、構造強度の確認手段もなかった時代であったからやむを得ないとは思われるが、
a)バーサ号の船体構造には当時としては例外的に大きな部材寸法が採用されていた。
大きな縦通梁がチャインの所に配置され(縦強度を保つためと思われる)、フレームとフレームの間のスペースは補強材でほとんど埋められていた。そのため、船体が非常に重くなり、バラスト搭載のスペースも少くなった。
b)砲搭載のため、2層の砲甲板となり、上部砲甲板も弊囲された。これが重量増加に拍車をかけた。
[このようなトラブルは現代の造船では滅多に起きないだろう。]
3)重量管理の欠陥;
重量管理の具体的手法が無かった時代ではあったが、砲は何処に据えるかだけで、重量には無関心であった。バーサ号は装飾の木彫の宝庫とも言われる程装飾に凝った。重量、重心管理の欠陥と言えよう。
[現代でも客船の装飾、艦艇の武器等は重量は造船より関心が薄い。要管理。]